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一挿話
いちそうわ
作品ID47899
著者堀 辰雄
文字遣い旧字旧仮名
底本 「堀辰雄作品集第五卷」 筑摩書房
1982(昭和57)年9月30日
初出「文化評論 創刊号」1940(昭和15)年6月1日
入力者tatsuki
校正者岡村和彦
公開 / 更新2013-03-31 / 2014-09-16
長さの目安約 6 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 一九〇八年の春、伊太利のカプリ島に友人に聘せられて再遊し、その冬獨逸で發した宿痾を暫く療養して居つたリルケは、漸くそれから恢復するや、前年來の仕事を續けるために、五月、四たび巴里に出て來たのであつた。先づ、シャンパアニュ・プルミエェル街十七番地にささやかなアトリエを構へた。彼と殆ど前後して、妻のクララも獨逸から巴里にやつて來た。やはり、此の都で彫刻の仕事をするためにである。しかし、リルケはその妻にすら一週間に一度くらゐしか會はずに、ひたすら自分の仕事に沒頭した。仕事といふのは前年その第一卷を上梓した「新詩集」の別卷を完成せしめる事であつた。先頃の一時的不和からは既に完全に和解してゐたロダンにさへその間はあまり會ひに行かずにゐたらしく、五月十二日付のロダン宛の手紙を見ると、「……不本意にも長いこと何もせずに居りましたので、私はいま、全く一人きりで、自分の仕事と共に閉ぢこもつてゐなければなりませぬ。これまでの數ヶ月といふもの、世間の人達と附き合つて居なければならず、そのため仕事もあまり出來ませんでしたので、私のうちにいままでよりもずつとはつきり目立つて來てゐる孤獨への傾向を、貴方は誰よりもよくお分かりになつて下さるでせう。……」又、七月二十日付の手紙には、「……私は自分の家に、核がその果實の中にとぢこもつてゐるやうに、閉ぢこもつてゐます。そして食事にしか外出いたしませぬ。私の妻すら、一週に一度、ちよいと私の樣子を見にくるだけです。私の本は八月末までに仕上げてしまはなければなりません。……」
 そのやうな孤獨の裡に「新詩集別卷」は八月末脱稿せられた。その卷頭に「アポロの古拙なるトルソ」なんぞと題せられた詩を載せてゐる此の詩集は、その「大いなる友」オオギュスト・ロダンに捧げられた。
 妻のクララもその頃彫刻の仕事を了つて、再び獨逸に歸つて行つた。リルケもその妻に伴つて暫く獨逸の友人等のところへ行かうとしかけてゐたが、「……私はまだ決心がついてゐません。けれど、仕事を仕上げたばかりなので、大ぶ疲れてへとへとになつて居ります。ですから、この秋から冬に、元氣よく、再び仕事に取りかかるためには、氣分を轉換させなければなりませぬ。……」(ロダン宛、八月)――そしてとうとう獨逸行を斷念したリルケは、その代りに、その八月の終りの日に、アトリエをヴァレンヌ街七十七番地に移した。こんどのアトリエは彼には大へん氣に入つたやうに見える。――「今朝から私の住まつてゐるこの素ばらしい建物と部屋とを貴方に是非ともお目にかけたいものです。その三つの戸口は或廢園の上にひらかれて居りますが、其處にはちやうど古代絨氈の中でのやうに、無邪氣な兎が四目垣を跳び越えたりするのが、ときどき見えたりするのです」などと、引越した當日にロダンに書いてゐる。
 それから二三日すると、リルケはロダンに若しか空いてゐる…

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