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詩集「窓」
ししゅう「まど」
作品ID47912
著者堀 辰雄
文字遣い旧字旧仮名
底本 「堀辰雄作品集第五卷」 筑摩書房
1982(昭和57)年9月30日
初出「むらさき 第五巻第三号」1938(昭和13)年3月号
入力者tatsuki
校正者岡村和彦
公開 / 更新2013-02-14 / 2014-09-16
長さの目安約 9 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 私はいま自分の前に「窓」といふ、插繪入りの、薄い、クワルト判の佛蘭西語の詩集をひろげてゐる。その表題の示すごとく、ことごとく、窓を主題にした十篇の詩を集めたもので、そのおのおのに一枚づつ插繪が入つてゐるのである。
 その詩のいづれもが、とある窓の下を通りすがりにちらつと垣間見たその内側の人生だの、或はその窓のみを通してその内側の人生と持ち合つたはかない交渉だのを歌つたものだが、所詮さう云つたはかなさそのものこそ此の人生にいかにも似つかはしく、さういふ點からしてもそれ等のふとゆきずりに見たやうな窓といふ窓がこのわれわれの人生に對して持つてゐる大きな意味――さう云つたやうなものが知らず識らずのうちにわれわれにひしひしと感ぜられて來ずにはおかないのである……
 それ等の詩はどれも難解といふほどではないが、ちよつと風變りな佛蘭西語で書かれてあるので、私などにはすつかり呑み込めないやうな奴がないでもない。そんなのにもしかし插繪がついてゐるので、ともかくも大體の意味はわかる。若い女の畫家の描いたものらしいが、(ひよつとしたら少女かも知れない)繪そのものはいかにも素人らしくつて、稚拙だ。
 私はいまその十篇の詩の大意を、その插繪でもつて補ひながら、此處に書き竝べて見るが、それがおのづから一つの人生風景を美しく繰りひろげてくれたら好い。

          [#挿絵]

 最初の詩は、われわれがバルコンの上だとか、窓枠のなかにちらりと現はれたのを見たきりで、姿を消してしまつた女の、われわれの心に殘す何とも云ひやうのない寂しさを歌つてゐる。

が、その女が髮を結はうとして、その腕を
やさしい花瓶のやうに、もち上げでもしたら、
どんなにか、それを目に入れただけでも、
私達の失意は一瞬にして力づけられ、
私達の不幸は赫くことだらう。

 插繪は、その窓枠のなかに一人の女が裸かの腕をもち上げて髮を結はうとしてゐる姿をちらりと見せてゐる。明け方、たつたいま起きたばかりのところと見える。窓枠の奧はまだ薄ぐらい……

          [#挿絵]

 その次ぎの插繪も、同じやうに、鼠色の窓帷のかげから何かの花を插した花瓶を窓ぎはに置かうとしかけてゐる女の手だけをちらりと覗かせてゐる。――つい云ふのを忘れてゐたが、插繪はみんなエッチングである。
 さて、本文の詩だが、詩の方にはまださういふ女の手は現はれてはゐないのである。さうして唯、その鼠色の窓帷がなんだかごそごそと動いたのが目に止つたきり。……それだけでももう、それを見た者の胸ははずんで、それが自分に來てくれるやうにといふ合圖なのではないかしらと思ふ。さうしてそれに應じたものかどうかと迷はずにはゐられない。が、それにしてもそれは一體誰なのだらうか?
 さうやつてその窓帷のかげにそつと隱れてゐるのは、ひよつとしたら戀を失つた女ではな…

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