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春日遅々
しゅんじつちち
著者
文字遣い旧字旧仮名
底本 「堀辰雄作品集第五卷」 筑摩書房
1982(昭和57)年9月30日
初出「文藝 第五巻第六号」1937(昭和12)年6月号
入力者tatsuki
校正者岡村和彦
公開 / 更新2013-03-14 / 2014-09-16
長さの目安約 11 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 四月十七日 追分にて
 ホフマンスタアルの「文集」を讀み續ける。嘗つてビアンキイ女史がこの詩人のことをリルケと竝べて論じてゐた本を讀んだ折、既に物故したこの詩人のパセティックな、眞の姿を知つて、それ以來何となく心を惹かれてゐたが、最近その文集の佛譯を手に入れることが出來て、數日前から讀み續けてゐるのである。
 これまで讀了した數篇――シェクスピアを論じて劇の本質は性格描寫や筋などには無くて、その雰圍氣にあるといふ説を立てたもの、或はゲエテの「タッソオ」に就いて語つて從來閑却されがちであつた公女レオノオレの重要牲を指摘したもの、或は又、シュテファン・ゲオルゲの詩を取り上げて詩の本質を明らかにしつつ、十數年後の純粹詩の發生をいち早くも豫見してゐたやうな「詩に就いての對話」――などで見ても、ホフマンスタアルが過去の大詩人の崇高な作品を自分の裡に見事に生かし得てゐたばかりでなく、將來に於ける詩の動きにも敏感な見透しをもつてゐたことは、まことに敬服の外はない。
 けふ讀んだのは「Lord Chandosの手紙」といふ一篇である。
 この西暦一六〇三年八月二十二日の日付のある古い手紙は、フィリップ・ロオド・チャンドスと云ふ英吉利の文人がその友人フランシス・ベエコンに宛てて、一切の文學的活動を放擲する辯疏のために書いた手紙である由が註せられてゐる。それはしかし、言ふまでもなくホフマンスタアルの假託であらう。
 ともあれ、そのロオド・チャンドスと云ふのは、英吉利文藝復興期に多く見出されるごとき博學多才の人である。彼は年少の頃から牧歌的な詩を作つたり、祖父の殘した記録を元にしてヘンリイ八世年代記を書かうと計畫したり、又、各國各時代から資料を集めて箴言集のやうなものを編むことを夢みたりしてゐた。が、突然、彼はさういふ一切の仕事を放擲した。そしてそのまま長い沈默に這入つた。
 その長い沈默を憂へて手紙を寄せた昔の友人のベエコンに對して、その沈默の辯明を試みたのが即ちこの手紙であるが、以下それを少し抄して置かう。――
「簡單に云ふと、自分の場合は次のやうなのです。自分は或る對象を、思考とか言語などをもつて、順序立てて取扱ふことが全然出來なくなつてしまつたのです。先づ、自分は普通に人が使つてゐるやうな言葉でもつて、高尚なことも尋常なことも話すことが出來なくなりました。「精神」とか「魂」とか「肉體」とか云ふやうな言葉を口にするのが云ひ知れず不快に感ぜられるのです。……何にせよ、批判を明るみに出すためには使用しなければならない抽象的な語は、悉く自分の口の中で、腐つた菌のやうにこなごなになつてしまふのでした。一度なんぞはかういふことがあつた。四つになる娘のカザリン・ポムピリアが子供らしい嘘をついたのを叱責して、いつも正直でなくてはいけないと云つて聽かせてゐるうちに、自分の口に簇がつてゐた…

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