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マダム貞奴
マダムさだやっこ
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「新編 近代美人伝(上)」 岩波文庫 、岩波書店
1985(昭和60)年11月18日
初出「婦人画報」1920(大正9)年2~4月
入力者門田裕志
校正者小林繁雄
公開 / 更新2005-10-10 / 2014-09-18
長さの目安約 55 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

       一

 人一代の伝を委しく残そうとすれば誰人を伝しても一部の小冊は得られよう。ましてその閲歴は波瀾万丈、我国新女優の先駆者であり、泰西の劇団にもその名を輝かして来た、マダム貞奴を、細かに書いたらばどれほど大部の人間生活の縮図が見られるであろう。あたしは暇にあかしてそうして見たかった。彼女の日常起居、生れてからの一切を聴いて、それを忠実な自叙伝ふうな書き方にしてゆきたいと願った。
 けれどもそれはまた一方には至難な事でもあった。芸術の徒とはいえ、彼女は人気を一番大切にと心がけている女優であり、またあまり過去の一切をあからさまにしたくない現在であるかも知れない。彼女の過去は亡夫川上音二郎と共に嘗めた辛酸であった。決して恥ずかしいことでも、打明けるに躊躇するにもおよばぬものと思うが、女の身として、もうすでに帝都隠退興行までしてしまったあととて、何分世話になっている福沢氏への遠慮なども考慮したかも知れないが、その前にも二、三度逢ったおり言ってみたが、微笑と軽いうなずきだけで、さて何日になっても日を定めて語ろうとした事のなかったのは、全くあの人にとっても遺憾なことであった。私は貞奴の女優隠退を表面だけ華やかなものにしないで、内容のあるものとして残しておく記念を求めたかった。そして自分勝手ではあるがわたしの一生の仕事の一つと思っている美人伝のためにも、またあの人のためにも集の一つを提供して、新女優の祖のために、特別に一冊を作りたいと思っていたが、その希望は実現されなかった。参考にしたいと思う種々の切抜き記事について、間違いはないかと聞直したのにも分明した返事は与えられなかったから、わたしは記憶を辿って書くよりほか仕方がなくなってしまった。それがため、女優第一人者を、誠意をもって誤謬なく書残しておこうとしたことが画餅になってしまったのを、大変残りおしく思う。
 わたしの知人の一人はこういう事をいってくれた。
「花柳界には止名というものがあって、名妓の名をやたらに後のものに許さない。それだけの見識をそなえたものならば知らず、あまりよい名は――つまり名妓をだしたのを誇りにして、取っておきにする例がある。たとえば新橋でぽんた、芳町で奴というように……」
 その芳町の名妓奴が貞奴であることは知らぬものもあるまい。
 奴の名は二代とも名妓がつづいた。そして二代とも芳町の「奴」で通る有名な女だった。先代の奴は、美人のほまれだけ高くて早く亡びてしまった。重い肺病であったが福地桜痴居士が死ぬまで愛して、その身も不治の病の根を受けたという事であった。後の奴が川上貞奴なのである。
 
 貞奴に逢ったのは芝居の楽屋でだった。市村座で菊五郎、吉右衛門の青年俳優の一座を向うへ廻して、松居松葉氏訳の「軍神」の一幕を出した、もう引退まえの女優生活晩年の活動時機であった。小さな花束を贈った…

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