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緑葉歎
りょくようたん
作品ID47948
著者堀 辰雄
文字遣い旧字旧仮名
底本 「緑葉歎」 筑摩書房
1982(昭和57)年8月30日
初出「セルパン 第六十五号」1936(昭和11)年7月号
入力者tatsuki
校正者染川隆俊
公開 / 更新2011-04-20 / 2021-11-23
長さの目安約 5 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 青葉頃になると、どうも僕の身體の具合が惡くなるのです。それにやられまいと思つて、隨分用心してゐるのですが、いつのまにかやられてゐます。こんどなども、ちよつと氣分が惡かつたので、二三日安靜にしてゐたら、それからずつと微熱が續いて、もう半月ばかりになるのに、いまだに寢込んでゐる始末です。それにどうしたのか、足がなやんでなりません。あの足首の、丁度靴下が一番先に穴のあいてしまふところですが、あそこのところがへんに痛い。もうせん、靴下をはいたら大きな穴があいてゐたが、穿きかへるのが面倒くさかつたので、そのまま出かけたところ、途中でそこが痛くなつてきて弱つたことがありましたが、そのときのことを、いまだにそいつが根にもつてゐるんぢやないか、といふ氣さへしてゐます。もつともそのときは片つぽだけでしたが、いまは兩足が痛い。起居にも不自由を感じてゐる位です。
 こんなときには誰か友人でも來てくれるといいなと思ひますが、さうなると意地の惡いものでなかなか來ない。やつと今日、立原道造君が來てくれました。何か手に大きな紙をまいてもつてゐる。何だと思つたら、それは僕がこの間冗談半分に頼んでおいた僕の輕井澤の別莊の設計圖なのです(道造君は建築科の學生です)。實は僕の方ではもう忘れかけてゐたのだけれど、この間、南輕井澤の方に土地をもつてゐる友人が、こんど自分のところでもそこに別莊を建てるんだが、よかつたら君もその側に、小さな小屋を建てないかと勸めてくれた。食事一切はその友人の家で面倒を見て貰ふことにすれば、ただ仕事と睡眠だけのための場所、つまり、木のベッド一つと、木のテエブル一つとを入れるだけのコッテエヂ、――それにまあ窓が一つあればいい、そんな丸太小屋なら、せいぜい五十圓もあれば出來るんぢやないか、と側にゐた道造君を顧みて云つた。出來るかも知れないといふので、僕は本氣とも冗談ともつかずに、ぢや設計してみてくれと頼んでおいたのです。――ところが、その道造君の設計してきたコッテエヂは、どうして、ヴェランダなんぞもついてゐて、なかなかハイカラに出來上つてゐます。だが、僕はその落葉松林(!)のなかに立つてゐるコッテエヂを見ながら、君、これぢや五十圓ぢや出來まい、百圓位はかかりさうだな、と言ふと、ええ、その位はどうしてもかかると言ふのです。が、それだけぢやない。その他に大工の手間賃だの、何やかやら見積つて見ると、ざあつと二百圓ないとその設計通りのコッテエヂは、出來さうもないらしいのです。――ささやかな夢を見て樂しんでゐると、とかく第三者がその夢を否應なしに大きなものにさせてしまつて、當人を不幸にさせがちなものです。道造君の設計してきた二百圓のコッテエヂの前で、僕の夢みてゐた五十圓のコッテエヂは、あまりにも貧弱なものになつてしまつたのです。そして、もうどうでも勝手にしやがれと思つて、その折角こし…

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