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巴里の手紙
パリのてがみ
著者
翻訳者堀 辰雄
文字遣い旧字旧仮名
底本 「堀辰雄作品集第五巻」 筑摩書房
1982(昭和57)年9月30日
初出「四季 第四号・昭和十年二月号」1935(昭和10)年1月25日、「四季 第五号・昭和十年三月号」1935(昭和10)年2月20日
入力者tatsuki
校正者岡村和彦
公開 / 更新2013-02-14 / 2014-09-16
長さの目安約 24 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 ライネル・マリア・リルケは一九〇二年八月末はじめて巴里に出た。「美術叢書」(Die Kunst)を監修してゐたリカルド・ムウテル教授に囑せられてロダン論を書くためであつた。リルケは先づ、ソルボンヌ區トゥリエ街十一番地に寓した。八月二十八日の夕方、妻クララに宛てて、「誰れももう疑へませぬ、私は巴里に居るのです、いま私の住まつてゐるこの一隅がどんなに物靜かであつても。私は唯一つの期待(une seule Attente)です。どんな風になることでせう? 私の部屋は三階か四階にあります(私はそれを數へようとはしませぬ)、そして私を得意にさせてゐるのは、この部屋には鏡のある煖爐、振子時計、それから二つの銀の燭臺があることです……」と書いてゐる。巴里とロダンと――この二つのものこそ當時のリルケにとつては彼のすべてであつた、と言へる。私は此處にその最初の巴里滯在中の詩人のすがたを彷彿せしめるに足りる三つの手紙を抄する。
 後出の妻クララ及びロダンに宛てられた二つの手紙は、前述のトゥリエ街の寓居で書かれたものだが、最初のルウ・アンドレアス・サロメに宛てて書かれた手紙は、その翌年羅馬から獨逸のヴォルプスヴェデに歸つてから當時を追想して書かれたものである。この手紙の中に精妙に描かれてゐるいくつかの巴里の情景は、後日「マルテの手記」の中に殆どそつくりそのまま用ひられてゐる。

一 ルウ・アンドレアス・サロメに

一九〇三年七月十六日、ブレェメン郊外ヴォルプスヴェデにて
 愛するルウよ、巴里は私には、あの幼年學校時代とそつくりな經驗だつたと言つてもいいかも知れません。あの頃、大きな、心臟をしめつけるやうな驚きが、私を掴へてゐたのと同樣に、巴里でもまた私は、それ等の何とも言ひやうのない混沌が人生と呼ばしめてゐるかのごとき、あらゆるものに對する恐怖に捕へられてゐたのでした。あの頃私は、子供たちの一人であつたのに、皆の間で孤獨でした。そして巴里でも、私は人々の間でどんなにか孤獨だつたでせう、そして私の出會ふすべての人々から、いつも知らん顏をされて居ましたことか。馬車は私を駈け拔けて行きました。そしてその馬車の中でも、急いでゐるのなどは、私を避けようともしないで、さも輕蔑するやうに、私の上を走つて行きました。まるで古い水の溜つてゐる惡い場所の上ででもあるかのやうに。私は就寢前に、屡[#挿絵]ヨブ記の第三十章を讀みました。一語一語、それはそつくりそのまま私には眞實でした。そして夜なかに私は起き上り、大好きなボオドレエルの本、「小さい散文詩」を搜して、その中でも最も美しい詩、「夜の一時に」といふ詩を大聲で朗讀するのでした。その詩を御存知ですか? それはかう始まるのです。「ああ、漸つと一人になつた! いま聽えてくるものは、もはや歸りの遲れた、さも疲れたやうに走つてゆく、二三の辻馬車の音のみだ…

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