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現下文壇と探偵小説
げんかぶんだんとたんていしょうせつ
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「平林初之輔探偵小説選Ⅱ〔論創ミステリ叢書2〕」 論創社
2003(平成15)年11月10日
初出「文学時代 第一巻第三号」1929(昭和4)年7月号
入力者川山隆
校正者門田裕志
公開 / 更新2010-12-17 / 2014-09-21
長さの目安約 9 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

探偵小説の芸術的価値

 探偵小説は、英米では、ポー、スティーブンソンにはじまり、コナン・ドイルによって、近代小説の一つのカテゴリーとして、その存在を確立した。
 仏国では、ガボリオ、ボアコベらが十九世紀中葉に、既に純粋な探偵小説作家として一家をなし、ガストン・ルルー、モーリス・ルブランの現在に及んでいる。
 その他、探偵小説の語義を拡大して、犯罪文学という風に解するならば、世界のすぐれた小説のほとんど全部に、探偵小説の要素は含まれている。
 そこで探偵小説の価値については自ら二つの見解が対立するようになった。一は、探偵小説に独自の価値を認めないで、ただ一般の文学として秀れたものであって、その中に探偵小説的要素を備えたもの、例えば、ドストエフスキーの『罪と罰』のごときを探偵小説の模範となす見解であり、一は探偵小説を他の一般の小説から区別された独自の存在として、それ自身に特有の価値を付し、ドストエフスキーの作品よりも、ルブランの「ルパン」物とか、コナン・ドイルの「ホームズ」物とかを探偵小説としては上位におこうとする見解である。
 私の見解はほぼ後者に傾いている。というのは、探偵小説という一つのカテゴリーが、現在では既に動かすべからざる存在だからである。これは私の趣味からそう言っているのではない。私はむしろ、探偵的というような特殊な価値よりも、もっと広い芸術的な価値に富む作品を好むのであるが、探偵小説が独自の存在権をもつとすれば、探偵小説をして探偵小説たらしむる特殊の価値を重視しなければならないという理論的要請を無視するわけにゆかないからだ。サイダーと紅茶とを両方とも飲み物であるからといって、二つの価値の優劣を同じ尺度できめるわけにいかないのと同じ道理である。
 仮に佐藤春夫が小説家として非常にすぐれていて、時に探偵小説的作品も書くけれども、それは探偵小説としてはあまりすぐれていないとする。また大下宇陀兒が、探偵小説だけはすぐれたものを書くけれども、他の小説は全く駄目だとする。これは例にあげた二人には申し訳ないが、私はここで事実を指摘しているのではなくて、ただ仮定しているだけである。いま例にあげた二人の場合、実際はそうでないとしても、こういう場合は実際にはあり得ることである。それはモーリス・ルブランとたとえばチェスタトンとを例にあげてもよい。チェスタトンの探偵小説の価値を非常に高く評価する人も中にはあるが、それは探偵小説の独自性を認めない人々であって、私は彼の作品、わけても、小酒井不木が彼の傑作として翻訳紹介した『孔雀の樹』のような作品は探偵小説としては実に退屈な失敗の作だと思っている。
 これに反してルブランの「ルパン」物などになると、材料の真実性は希薄だし、描写の迫真性も乏しく、読んで私たちの魂の奥底にふれるようなところは滅多にないが、それでいて探偵小説とし…

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