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小坂部姫
おさかべひめ
作品ID48035
著者岡本 綺堂
文字遣い新字新仮名
底本 「伝奇ノ匣2 岡本綺堂妖術伝奇集」 学研M文庫、学習研究社
2002(平成14)年3月29日
初出「婦人公論」1920(大正9)年10月号~
入力者川山隆
校正者門田裕志
公開 / 更新2012-01-28 / 2014-09-16
長さの目安約 202 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

双ヶ岡




「物申う、案内申う。あるじの御坊おわすか。」
 うす物の被衣の上に檜木笠を深くした上[#挿絵]ふうの若い女が草ぶかい庵の前にたたずんで、低い優しい声で案内を求めた。南朝の暦応三年も秋ふけて、女の笠の褄をすべる夕日のうすい影が、かれの長い袂にまつわる芒の白い穂を冷たそうに照らしていた。
 一度呼んでも、内では答えがなかった。二度、三度、かれは呼びつづけながら竹の戸をほとほとと軽く叩くと、やがて内では眠そうな声がきこえた。
「案内は誰じゃ。」
「これは都の者でござりまする。御庵主に是非にお目にかからいでは叶わぬ用事ばしござりまして……。ここお明け下され。」
 内ではうるさそうに黙っているので、女はかさねて声をかけた。
「お暇は取らせませぬ。およそ一[#挿絵]、それもかなわずば半[#挿絵]でも……。まげて御対面を折り入って頼みまする。御庵主、あるじの御坊……。」
「なんの用か知らぬが、ここは世捨てびとの庵じゃ。女子などのたずねて来るべき宿ではござらぬ。」
 あるじはあくまでも情ないのを、外の女は強情に押し返して言った。
「唯今も申した通り、是非にお目にかからねば叶わぬ用事ばしあればこそ、供をも連れずに忍んでまいりました。とにもかくにもここ明けて……。頼みます、頼みまする。」
 女に似合わぬ根強さに、内でも少し根負けがしたらしい。勝手にしろといわないばかりに、あくびまじりで答えた。
「それほどの用ばしあらば、その門はとざしてない筈じゃ。勝手にあけて通られい。」
「では、ごめんくだされ。」
 かれは低い竹の戸を押して、つつましやかに内へはいって来た。ゆう日をよけるために半ばおろしてある古い蒲簾の間から先ずかれの眼に映ったのは、あるじの法師の姿であった。年はもう四十あまりの小づくりな痩法師で、白の着付けに鼠の腰ごろもを無雑作にくるくるとまき付けて、手には小さい蓮の実の珠数を持っていた。庵に住む人だけに、さすがに頭は剃りまろめていたが、それもやがて苛栗というように生え伸びて、頤のあたりには薄ぎたない髭がもじゃもじゃと黒ずんでいた。彼が双ヶ岡の法師と世に謳わるる吉田兼好と知った時に、女も少し意外に感じたらしかったが、そんな色目も見せないで、かれは先ずうやうやしく会釈した。
「安居のお妨げ、何とぞお免しくださりませ。」
 被衣をするりと払って、かれは狭い竹縁にあがって、あるじの兼好法師とむかい合って淑やかに坐った。小さい庵室の中には調度らしいものはなんにも見えなかった。すすぼけた仏壇には一体の木彫りの如来が立っていて、南向きのあかり障子のきわに小机が一脚、その上には法華経一巻のほかに硯と筆二、三本、書き捨ての反古のようなものが三、四枚散らばっていた。
 女の方で意外に感ずると同時に、あるじの方でもこの来客を意外に感じた。それが若い女であることは、逢わない前か…

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