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釘抜藤吉捕物覚書
くぎぬきとうきちとりものおぼえがき
副題05 お茶漬音頭
05 おちゃづけおんど
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「一人三人全集Ⅰ時代捕物釘抜藤吉捕物覚書」 河出書房新社
1970(昭和45)年1月15日
入力者川山隆
校正者松永正敏
公開 / 更新2008-07-21 / 2014-09-21
長さの目安約 21 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

      一

「はいっ。」
「はいっ。」
「ほらきた!」
「よいとこら!」
「はっ。」
「はっ。」
 庄屋よ狐よ猟師よと拳にさざめく夕涼み。本八丁堀三丁目、海老床の縁台では、今宵、後の月を賞めるほどの風雅はなくとも、お定例の芋、栗、枝豆、薄の類の供物を中に近所の若い衆が寄り合って、秋立つ夜の露っぽく早や四つ過ぎたのさえ忘れていた。
 親分藤吉を始めいつもは早寝の合点長屋の二人までが、こう気を揃えてこの群に潜んでいるのも、なにがなし珍と言えば珍だったが、残暑の寝苦しさはまた格別、これも御用筋を離れての徒然と見ればそこに涼意も沸こうというもの。夢のような夜気に行燈の灯が流れて、三助奴を呼ぶ紅葉湯の拍子木が手に取るよう――。
 軒下の竹台に釘抜のように曲った両脚を投げ出した目明し藤吉、蚊遣りの煙を団扇で追いながら、先刻から、それとなく聴耳を立てている。天水桶の陰に、しゃがんで、指先でなにかしきりに地面へ書いているのは、頬冠でよくはわからないが乾児の勘弁勘次。十三夜の月は出でて間もない。
 どっと起る笑い。髪床の親方甚八とに組の頭常吉との向い拳で、甚八が鉄砲と庄屋の構えを取り違えたという。それがおかしいとあってやんやと囃す。その騒ぎの鎮まったころ、片岡町の方から、あるかなしかの風に乗って不思議な唄声が聞えてきた。銀の伸板をびいどろの棒で叩くような、それは現世のものとも思えない女の咽喉。拳の連中は気がつかないが、藤吉はぐいと一つ顎をしゃくって、
「来たな!」
 という意。勘次は頷首く。
「彦の野郎うまくやってくれりゃあ好えがのう。」乗り出す藤吉の足許から、
「なあに親分、」勘次が答えた。「彦のこった、大丈夫鉄の脇差し――即かず離れず見え隠れ、通う千鳥の淡路島、忍ぶこの身は――。」
「しいっ!」
 声は近着いてくる。唄の文句は明瞭とは聞き取れないが、狂女お艶から出てこの界隈では近ごろ誰でも承知の狂気節はお茶漬音頭、文政末年都々逸坊仙歌が都々逸を作出すまでのその前身よしこの節の直流を受けて、摺竹の振り面白い江戸の遊びであった。歌詞に棘があるといえばあるものの、根が狂気女の口ずさむ俗曲、聞く人びとも笑いこそすれ、別に気に留める者とてはなかった。
 片岡町を左へ松屋町へ出たと見えて、お艶の美音は正覚橋のあたりから、転がるように途切れ途ぎれて尾を引いてくる――。
「うらみ数え日
家蔵とられた
仇敵におうみや
薬かゆすりか
気ぐすりゃ知らねど
あたきゃ窶れてゆくわいな
あれ、よしこの何だえ
お茶漬さらさら」
 一つ文句のこの小唄、明暮れこれを歌いながら、お艶は今も夜の巷を行く。白じらとした月明りに罩もって、それはさながら冥府の妓女の座興のよう――藤吉勘次は思わず顔を見合せた。拳にも倦きてか、もう縁台の人影もいつとはなしに薄れていた。
 お江戸京橋は亀島町を中心にして、狂女のお…

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