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三つの痣
みっつのあざ
作品ID48054
著者小酒井 不木
文字遣い新字新仮名
底本 「怪奇探偵小説名作選1 小酒井不木集」 ちくま文庫、筑摩書房
2002(平成14)年2月6日
初出「大衆文芸」1926(大正15)年2月
入力者川山隆
校正者宮城高志
公開 / 更新2010-04-23 / 2014-09-21
長さの目安約 27 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

       一

 法医学者B氏は語る。

 私のこの左の頬にある痣の由来を話せというのですか。御話し致しましょう。いかにもあなたの推定されたとおり、生れつきに出来た痣ではなくて、後天的に、いわば人工的に作られたものです。これはある男の暴力によって作られたものですが、皮下出血のために、この通り黒みがかったものとなりました。もう三年になりますけれど、少しも薄らいで行きません。なに蝙蝠の形に似て居ますって? 私の名は「安」ではありませんよ。玄冶店の妾宅に比べるとちとこの法医学教室は殺風景過ぎます。
 余談はさて措き、この痣の由来を物語るには、どういう動機で私が法医学を専攻するようになったかということから御話ししなければなりません。然し、その動機を御話しするとなると、自然、私の弱点をも御話しせねばなりませんが、一旦御話しすると申しあげた以上、思い切って言うことにします。一口にいえば、私が法医学を選んだのは、私のサヂズム的な心を満足せしめる為だったのです。おや、そんなに眼をまるくしないでもよろしい。別にあなたを斬りも殴りも致しませんから御安心なさい。サヂズムは程度の差こそあれ誰にでもあるものです。自分で言うのは当にならぬかも知れませんが、私のは常人よりも少し強いくらいのものでした。而もこの痣を拵らえてからは、不思議にも私のサヂズムは薄らいで行きました。
 それはとに角、私は、小さい時分から、他の子供と比較して幾分か残忍性が強かったように思います。他人が肉体的精神的に苦しむ姿を見て、気の毒に思うよりも寧ろ愉快に思ったことは確かです。然し、それかといって、自分で直接他人に苦痛を与えることはあまり好まなかったのです。
 家代々農業に従事して居りましたが、中学校を卒業したとき、私は、何ということなく、医者になって見たかったので、その頃の第三部の試験を受けて合格しました。それから高等学校を無事に卒業し、大学へはいるに至って、はじめて医学を修めることに多大の満足を感じました。即ち、解剖学実習室で、死体を解剖するようになってから、いうにいえぬ愉快を覚え始めたのです。鋭いメスの先で一本一本神経を掘り出して行く時の触感、内臓に刀を入れるときの手ごたえに私は酔うほどの悦楽を催おし、後には解剖学実習室が私にとって、楽園となりました。多くの学生は解剖実習を嫌います。それは死体を扱うことに不快を覚えるというよりも寧ろ面倒臭いためでありますけれど、私は出来ることなら、一年中ぶっ通しでもよいから、実習室にはいって居たいと思いました。
 彼此するうちに、私は死体というものに一種の強い愛着の念を覚えるに至りました。老若男女を問わず、死体でさえあれば、それに接するのが楽しくなったのです。妙な話ですが、例えば美しい女を見るとします。すると私は、その女の生きた肉体に触れることよりも、その女を死体として、…

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