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文芸は進化するか、その他
ぶんげいはしんかするか、そのた
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「平林初之輔探偵小説選Ⅱ〔論創ミステリ叢書2〕」 論創社
2003(平成15)年11月10日
初出「新潮 第二七年第六号」1930(昭和5)年6月号
入力者川山隆
校正者門田裕志
公開 / 更新2010-12-12 / 2014-09-21
長さの目安約 14 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

一 文芸は進化するか?

 阿部知二氏は『読売新聞』文芸欄(昭和五年五月六日)で、小林秀雄氏を評して次のように言う。
「このことは、彼が流行というものをあまり無視していることになりはしないか。……われわれは、文学においては、一歩積極的に――進化という観念を持ち得るところまで到達していない。それゆえに、流行で我慢しなければならない。さて、この流行なる観念なくして、いわゆる今日の新文学――それはプロレタリアのでも新芸術派のでもいい――を正当に解釈することができるだろうか」
 そして氏は、過去のすぐれた文学作品があるのに、現代の私たちが、文学作品を制作する権利は「この流行――社会とその文明の推移によって生ずるところの観点の差異に着目し、この角度から制作することによってのみ」得られるのであると主張する。
 これは実に古めかしい問題の、しかもたどたどしい暖昧なとらえ方である。ところで氏が、こういう問題をもち出したのは小林氏が四月の創作のうちで、谷崎潤一郎氏と久保田万太郎氏との作品を最もすぐれた作品としてあげていたからなのだ。
 私はある意味で阿部氏とともに「小林秀雄氏ほど厳粛で純粋な批評家はあまり見当たらないといっていい」ことを認める。氏はいわゆる「新芸術派」の中で唯一の批評家らしい批評家であるといっていい。雅川滉氏や久野豊彦氏らが、いかにも芸術派らしくない、がさがさした芸術派であるのに比べて、小林氏は、いくぶん古めかしくて、彼らのうちのある人たちのいうように「マルクス主義を通過して」いない芸術派かもしれないが、とにかくすっきりして、純粋である。その意味で、氏が谷崎氏と久保田氏とを推賞しそうな理由は認められる。だが、私がここで問題とするのは谷崎氏と新芸術派との優劣論ではない。
 問題は、文学の変化が進化か流行かという抽象的な一点である。
 その前にちょっと指摘しておきたいことは、氏が「時代の流れに従って、文学に盛られた感性の角度と技術の方法と素材の取捨と表現の形態」との変化を流行であるとし、しかも、この流行を無視してはならないことを強調するとき、氏は、芸術至上主義のバリケードをすてて、はるか後方に退却したことを認めなければならぬということだ。
 だが、阿部氏が指摘したような文学の変化は果たして流行にすぎんのだろうか? もし氏が、社会の歴史は進化ではなくてただ気紛れな変化の連続であるというのなら、文学の進化の否定はその当然の論理的帰結である。しかし社会現象が他の部門には進化があるが、文学にはただ流行があるだけだというなら、氏の認識が正しくないか氏の論理が迷走しているかだ。
 デュルケームは、『社会学方法論』の中で次のような意味の例をひいている。
 私たちは昭和五年の今日、元禄時代の服装をして銀座の真ん中を歩くことはできない。私たちはでそれを法律で禁じられているのではなく…

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