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歌集「嘲笑」序文
かしゅう「ちょうしょう」じょぶん
著者
文字遣い旧字旧仮名
底本 「啄木全集 第十卷」 岩波書店
1961(昭和36)年8月10日
入力者蒋龍
校正者阿部哲也
公開 / 更新2012-04-28 / 2014-09-16
長さの目安約 2 ページ(500字/頁で計算)
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本文より


 私はこの集の著者に一度も會つたことが無い。その作つた歌もあまり讀んだことが無い。隨つてどんな性格の人、どんな傾向の人かも知る筈が無い。しかし斯ういふことは容易に想像することが出來る――この集の著者も年をとり、經驗を重ねるに隨つて、人生に對する態度が變つて來るに違ひない。人生に對する態度が變つて來れば、この集に對する態度も變つて來るに違ひない。
 實際變るに違ひない。また變らなければ嘘である。然しそれにしても、現在に於て、谷君が歌といふものを自己表現の唯一若くは最良の方法と信じてゐること、及びその作つた歌を輯めてこの集を出版するといふことを自分自身の家を新しく建てる人の熱心を以て計畫してゐるといふことは、事實である。假令他人の立場からは幾多の批評を加へる餘地が有るにしても、少くとも現在の谷君にとつては動かすべからざる眞實である。歌が拙いとか上手だとかいふことも問題にならない。歌そのものゝ價値といふことも問題にならない。何人もこの眞實を否むことが出來ない。さうして何人にも谷君の心を左右する權利がない。
 谷君。君は或ひは他日この集を燒きたくなるやうな日にめぐり合せるかも知れない。また或ひはそんなことが無くて濟むかも知れない。しかしそれは結局現在の君に於て考へる必要の無いことである。今私の心より君に望む所の一つは、ただ、君がいつまで經つても自己に忠實なる人であらむことである、何事をなすにも先づ自己に聽き、何事を言ふにも、はた歌ふにも先づ自己に聽かむことである。さうしてその自己の常に若く、常に新しく、因仍と苟安とに累せられざらむことである。
明治四十三年十二月二十九日
東京にて  石川啄木



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