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吉井君の歌
よしいくんのうた
著者
文字遣い旧字旧仮名
底本 「啄木全集 第十卷」 岩波書店
1961(昭和36)年8月10日
初出「東京朝日新聞」1910(明治43)年9月23日
入力者蒋龍
校正者阿部哲也
公開 / 更新2012-05-10 / 2014-09-16
長さの目安約 2 ページ(500字/頁で計算)
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本文より


 自分も作家の一人である場合、他人の作を讀んで滿足の出來ないことが、却つて一種の滿足である事がある。又時として、人が一生懸命やつた仕事にその人と同じ位の興味を打込むことの出來ないのを、その人の爲とも自分の爲ともなく淋しく思ふ事もある――人と人との間の超え難き隔たりに就いての悲しみと言はうか、或は又人間の努力の空しさに對する豫感とでも言はうか。
 吉井勇君の歌集『酒ほがひ』を贈られて私は第二の場合の感じを經驗した。著者と私とは一時隨分接近した交際をしてゐた。それが何の事もなく疎くなり、往來をしなくなつて既に一年半になる。今此集を讀んで見て、其間に二人が、彼は彼の路を、我は我の路を別々に歩いてゐた事の餘りに明瞭なのに驚く。
 然し夫は私一個の一時の感じである。吉井君の歌には既に廣く認められてゐる如く、吉井勇といふ一人の人間に依つてのみ歌はるべきであつた歌といふ風の歌が多い。他の追隨を許さない。而して歌の能事は其處に盡きる。此意味に於て『酒ほがひ』一卷は明治の歌壇に於ける他の何人の作にも劣る事のない貢獻であると思ふ。フリツ・ルンプに寄せた歌の中から氣に合つた二三首を拔く。
露臺の欄にもたれてもの思ふうたびとの眼のやわらかさかな
あはれにも宴あらけてめづらしき異國の酒の香のみ殘れる
ゆふぐれの河岸にただずみ水を見る背廣の人よ何を思へる
諸聲の流行の小唄身にぞ染む船の汽笛の玻璃に鳴る時
いまも汝は廣重の繪をながめつゝ隅田川をば戀しとおもふや
(明治43・9・23「東京朝日新聞」)



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