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女郎買の歌
じょろうがいのうた
著者
文字遣い旧字旧仮名
底本 「啄木全集 第十卷」 岩波書店
1961(昭和36)年8月10日
初出「東京朝日新聞」1910(明治43)年8月6日
入力者蒋龍
校正者小林繁雄
公開 / 更新2009-09-08 / 2014-09-21
長さの目安約 4 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

『惡少年を誇稱す
糜爛せる文明の子』

 諸君試みに次に抄録する一節を讀んで見たまへ。

     ○

 しばらくは若い人達の笑聲が室の中にみちて、室の中は蒸すやうになつた。その中に頼んだ壽司とサイダーが運ばれたので、みんな舊の席へかへつた。舊の席に就いて、それから壽司とサイダーを飮み乍らまた談話が開始された。それからそれへといろ/\おもしろい話の花が咲く。瓦斯が明るく室中をてらして、かうして若い人達の並んでゐるところを見ると、そゞろに腕の鳴るのを覺える。何か新らしい事業をしたい、新らしい運動、新らしい努力を詩歌壇にやつて見たい…………さういふ念が頻りに起つて來る。
『これだけ居れば何でも出來るね』
 集つてゐるところをぢつと眺めてゐた△△氏が、感に堪へたやうな聲でかう云ひ出した。期せずして同じ樣な笑聲が皆の口から出た。
『惡少年のかたまりか………』
 さう誰かゞ云つた。
『惡少年』
 さう誰かゞ應じてまた面白そうに笑ひ出した。

     ○

 これは『創作』といふ短歌專門の雜誌で去月十六日誌友小集を開いた時の記事の一節で同誌八月號に載つてゐるものである。此處に所謂『惡少年』の何を意味するかは嘗て本紙に出た『滿都の惡少年』といふ記事を讀んだ人には直解るに違ひない。人の話に聞くと佛蘭西十九世紀末の頽唐派の詩人共は批評家から彼等はデカダンだと言はれた時、そいつは面白いといふので早速取つて以て自分等の一派の詩風の代名詞にしたとやら、若しそれ等の肉慾の亡者、酒精中毒者の一團が最も尊敬すべき近代的詩人の標本であるならば、この惡少年だと言はれて喜んでゐる日本の若い歌よみ達も大層偉い人達なのかも知れない。
 所が同じ雜誌を讀んでゐて記者は驚いて了つた、六十八、九頁に『黄と赤と青の影畫』と題して三十四首の短歌が載つてゐる、作者は近藤元
潮なりの滿ちし遊廓にかろ/″\と われ投げ入れしゴム輪の車
潮なりにいたくおびゆる神經を しづめかねつゝ女をば待つ
新内の遠く流れてゆきしあと 涙ながして女をおこす
といふやうな歌がある、潮鳴りの滿ちし遊廓といふと先づ洲崎あたりだらう、洲崎! 洲崎! 實にこの歌は洲崎遊廓へ女郎買ひに行つた歌だつたのだ。
寢入りたる女の身をば今一度 思へば夏の夜は白みけり
といふのがある
やはらかきこの心持明け方を 女にそむき一しきり寢る
といふのがある、若し夫れ
空黄色にぽうつと燃ゆる翌朝の たゆき瞼をとぢてたゝずむ
に至つては何うだ。聞く所によると作者近藤元といふ歌人はまだ下宿住ひをしてゐる廿一二の少年なそうだ、さうして同じ雜誌には又この人の第二歌集『凡ての呼吸』の豫告が出てゐる、其廣告文の中に次のやうな一節がある。

 狂ほへる酒に夢みる情緒と、あたゝかき抱擁に微睡む官能とは、時來るや突如として眼覺め、振盪して微妙なる音樂を節奏し、閃めき來つて恍惚…

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