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幼年時代
ようねんじだい
作品ID4818
著者堀 辰雄
文字遣い新字新仮名
底本 「幼年時代・晩夏」 新潮文庫、新潮社
1955(昭和30)年8月5日発行、1970(昭和45)年1月30日16刷改版
初出「むらさき」1938(昭和13)年9月号、10月号、11月号、1939(昭和14)年1月号、3月号、4月号
入力者kompass
校正者染川隆俊
公開 / 更新2004-02-26 / 2014-09-18
長さの目安約 75 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

無花果のある家

 私は自分の幼年時代の思い出の中から、これまで何度も何度もそれを思い出したおかげで、いつか自分の現在の気もちと綯い交ぜになってしまっているようなものばかりを主として、書いてゆくつもりだ。そして私はそれらの幼年時代のすべてを、単なるなつかしい思い出としては取り扱うまい。まあ言ってみれば、私はそこに自分の人生の本質のようなものを見出したい。
 私は四つか五つの時分まで、父というものを知らずに、或る土手下の小さな家で、母とおばあさんの手だけで育てられた。しかし、その土手下の小さな家については、私は殆ど何んの記憶ももっていない。
 唯一つ、こういう記憶だけが私には妙にはっきりと残っている。――或る晩、母が私を背中におぶって、土手の上に出た。そこには人々が集って、空を眺めていた。母が言った。
「ほら、花火だよ、綺麗だねえ……」みんなの眺めている空の一角に、ときどき目のさめるような美しい光が蜘蛛手にぱあっと弾けては、又ぱあっと消えてゆくのを見ながら、私はわけも分からずに母の腕のなかで小躍りしていた。……
 それと同じ時だったのか、それとも又、別の時だったのか、どうしても私には分からない。が、それと同じような人込みの中で、私は同じように母の背中におぶさっていた。私はしかしこんどは何かに脅かされてでもいるように泣きじゃくっていた。私達だけが、向うから流れてくる人波に抗らって、反対の方へ行こうとしていた。ときどき私達を脅かしているものの方へ押し戻されそうになりながら。そしてその夢の中のようなもどかしさが私を一層泣きじゃくらせているように見えた。――それは自家が火事になって、母が私を背負って、着のみ着のままで逃げてゆく途中であったのだ。……
 その当時には、まだその土手下のあたりには茅葺屋根の家がところどころ残っていたが、或る日、花火がその屋根の一つに落ちて、それがもとで火事になったのである。――ずっと後になって、私はそんなことを誰に聞かされるともなく聞いて、それをいつか自分でもうろ覚えに覚えているような気もちになっていたと見える。しかし私はそれを誰にも確かめたわけではないから、ことによると、唯そんな気がしているだけかも知れないのだ。一体、私はそういう自分の幼時のことを人に訊いたりするのは何んだか面映ゆいような気がして、自分からは一遍も人に訊いたことはない。そして私はそれらの思い出がそれ自身の力でひとりでに浮び上がってくるがままに任せておくきりなのだ。
 そんな私のことだから、その頃のことは他には殆ど何一つ自分の記憶には残っていない。そういう中で、唯一つ、前述の記憶だけが妙にはっきりと私に残っているというのは、その火事の話が事実でないとすれば、恐らく昼間のさまざまな経験が寄り集って一つの夢になるように、自分のまだ意識下の二つの強烈な印象が、その他の無数の小さな…

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