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佐渡が島を出て
さどがしまをでて
作品ID48182
副題02
著者江南 文三
文字遣い旧字旧仮名
底本 「明星」 「明星」發行所
1926(大正15)年7月
初出「明星 」「明星」發行所、1926(大正15)年7月
入力者江南長
校正者小林繁雄
公開 / 更新2009-05-28 / 2014-09-21
長さの目安約 10 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 佐渡が島を出てからひと月あまりになりました。白山神社の附近にたんぼがあつて赤蛙を取りに行つた東京、傳通院のぐるりが草原で蜻蛉やおおとを取りに行つた東京、あの附近に銘酒屋があつて、今日なくなつてしまつた「およなはいよ」と言ふ言葉で客をよんでゐた頃、お米屋さんがばたりばたりと足で踏んで米を搗いて居た頃、その前に鷄がくつくと鳴いてこぼれたのを拾つてゐた頃、前輪だけの馬鹿に大きな自轉車がよくうちの前のどぶに落ちた頃、お祭のときに山車が並んで鬱金木綿の襷を掛けた花笠の子供が揃ひの浴衣や紺のにほひのする印袢纒に交つて綱を引いたり萬燈をかざしたりしたあの頃からの東京、お互ひに半分だけ物を言へば通じる人のまだ住んでゐる東京、それが最早自分の故里と言ふ感じを少しも與へてくれなくなつてしまひました。
 東京で育ちながら、神田鍛冶町の刀屋の娘を母に持ちながら、動物性の稀薄な作り物のやうな都會人の血を自分自身のうちに見ては厭はしいことに思ひ思ひしてゐた私が、此處が自分の住むべき處だと思つたのは佐渡が島の相川であつたのに、都會人の血が又しても厭な都會に私を引き戻しましたのです。
 言葉も人も町並も昔の人をあとにして永久に續く繪卷物のやうに變つて行く東京が、震災後あまり市區改正をやられずに停滯してゐるのは私に取つて嬉しいことである筈なのに、人と言葉とはそれを見向きもせぬらしく、私が留守にしてゐたたつた二年半の間にすつかり變りました。
 まるで外國です。塵溜のやうな外國です。黒つぽい著物の上に水淺葱の羽織を引つかけて恥かしくもなく往來を歩いてゐる無茶な女を見て氣が變にでもなつたやうな氣のした私は、神田橋から有樂町まで院線の電車に乘つて窓から見下ろした東京の中心を見て無理もないやうな氣にもなりました。何もかもやけです。埃まみれのコンクリイトに牢獄の窓よりも淺ましい穴があいてゐます。埃まみれのトタン屋根、棒、棒、棒、引金、曲つた棒、細い棒、太い棒、何處に色がある。トツカピン。甜めろ、甜めろ、泥をなめろ、飴を甜めろ、牛のけつを甜めろ、赤いおべべを着て踊れ。とんきような聲を出せ。蝦のやうにはねろ。高架線の上の針金を綱渡りしろ。無茶です。
 しかし不思議です。一人も歌をうたつて居ない。ラヂオががあがあ言つて居る。しかし人は口笛さへ吹かない。自動車がぶうぶう言つてゐる。電車ががんがん言つてゐる。しかし人は笑聲さへ立てない。恐ろしい處です。墓場でせうか。地獄でせうか。雜音が威張り散らしてゐる。しかし人間は。あまりにしいんとしてゐる。
 花やかな東京の中心地であつた日比谷の交叉點には泥水の池が出來てゐる。泥水には自動車の油がギラギラ浮いてゐる。
 あんまり情ないではありませんか。人間を、生きてゐる人間を、生きながらあの泥水の中に、泥水を浴びせる自動車のまん中に、何のとががあつてでせう。交通巡査。交通巡…

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