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買ひものをする女
かいものをするおんな
作品ID48205
著者三宅 やす子
文字遣い新字旧仮名
底本 「日本の名随筆 別巻60 買物」 作品社
1996(平成8)年2月25日
入力者浦山敦子
校正者noriko saito
公開 / 更新2008-07-28 / 2014-09-21
長さの目安約 4 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 買ひものといふ事は、女性とは大変に密接な関係があるやうである。買ひものをする女の心持や態度は、千種万様である。
 娘の頃は学用品や身の廻りの一寸した買物、女学校でも卒業すると、反物の選び方に腐心するやうになるが、家庭にはいつて、買物の範囲はグツとひろめられて来る。
 新家庭時代、少くともそれから暫くの間は八百屋、魚屋、それから醤油はどれがよいとか、紙は何が徳用だとか云ふやうなこま/″\した買物に興味を持つ時代もあるが、次第にこれが日常の常習になつてしまふと、定りきつた面倒なものとなつてしまふ。
 それよりも、日常の生活の必需品でないもの、生活品の中でも、菓子、果物というやうになれば、そこに選択の余地があつて少し許りの興味はひく。けれど、女性が一番楽しみを交へて、といふよりは楽んで買ふのは、やはり服装に関した品物であらう。
 生活してゆくための費用の中から、半襟一つでも余裕を見出した時の嬉しさ、もつと大きな買物をするときの輝かしい喜び、選択する間の希望にみちた心、そして買つて来て、幾度か箪笥の抽斗に納つたり、出したりして眺める時の心持。
 よかつたとか、悪かつたとか云ひ乍ら、実は押へ難い愛着を其品物に感じて居るなつかしみ。
 かうした事を云ひ出したらきりがないかも知れない。
 今の三越呉服店が三井呉服店であつた其前身の越後屋時代には、十円以上買物をした人は別室で一人一人膳部が出たものであつたといふ。
 私が子供の時に行つた時は、金額の制限がいくらになつて居たか知らないが、何でも、紫縮緬の被布を買つて貰つた嬉しさと、少し薄暗いやうな部屋に、ピカ/\光る着物を着た番頭に「何卒こちらへ」と案内されて、塗つたお膳の上の煮肴に箸をつけた事だけをかすかに記憶して居る。

 それが顧客の購買力が増すにつれて、いつか廃止されるやうになり、其次は、何円以上は手拭、風呂敷、メリンスの風呂敷といふやうに、買物額に応じて品物を添へて貰つたものであつたがもうそれも廃せられて、今は得意先に盆暮に配られる十二支の風呂敷の他に、木綿風呂敷や手拭は見かけないやうになつた。

 それほど、次第に多くの人が呉服物を買ふやうになつたのである。
 そして、其大部分は女の人が買つてゆくのである。
 はじめ買物する人の便宜のために設けられた大呉服店の食堂といふのは、今では、食事そのものを半以上の目的にして出掛ける子供連れの客や、近所に用達に行つた人の簡便な食事場となつている。
 時間をつぶして、電車代をかけて、おまけにおすしの一つも食べては、少し位割安なものを買つた処が、結局高いものになるから、近所で間に合わせておきませう、などと云つた時代もあつたが、人々の趣味性の向上からか、何でも大呉服店のマークが附いて居ないと幅が利かないといふ訳なのか、時にも費用にもかまはず、今は皆下町に足を運ぶやうである。
 そ…

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