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疑獄元兇
ぎごくげんきょう
作品ID48221
著者宮沢 賢治
文字遣い新字旧仮名
底本 「【新】校本宮澤賢治全集 第十二巻 童話Ⅴ・劇・その他 本文篇」 筑摩書房
1995(平成7)年11月25日
入力者砂場清隆
校正者noriko saito
公開 / 更新2008-09-12 / 2014-09-21
長さの目安約 4 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

とにかく向ふは検事の立場、
今の会釈は悪くない。勲績のある上長として、盛名のある君子として、礼を尽した態度であった。
わたしの方も声音から、動作一般自然であった。或ひはかういふ調子でもって、政治の実といふものを、容易に了解するかも知れん。それならわたしは、畢竟党から撰ばれて、若手検事の腕利きといふ この青年を対告に、社会一般教育のため、こゝへ来たとも云ひ得やう。
いかなる明文制裁と雖ど、それが布かるゝ社会に於て、遵守し得ざるに至ったときは、その法既に悪法である、それが判らん筈もない。だが何のため、向ふは壇をのぼるのだ。整然として椅子を引いて、眼平らにこっちを見る。
卓に両手を副へてゐる。正に上司の儀容であるが、勿論職権止むを得まい。たゞもう明るく話して来ればいゝのである。しかし……物言ふけはひでない。厳しく口を結んでゐる。頬は烈しい決意を示す。
わしは冷然無視したものか、気を盛り眼を明にして、これに備へをしたものか。あゝ失策だ! 出発点で! 何たる拙いこの狼〔狽〕! すっかり羂に陥まったのだ。向ふは平然この動揺を看取する。早く自然を取り戻さう。一秒遅れゝば一秒の敗、山を想はう。建仁寺、いや、徳玄寺、いけない、さうだ 清源寺! 清源寺裏山の栗林! 以て木突となすこと勿れ、汝喚んで何とかなす! にい[#挿絵] もう平心だ。よろしいとも、やって来い。生きた世間といふものは、たゞもう濁った大きな川だ。わたしはそれを阻せんのだ。悠揚としてこれに準じて流れるのだ。時には清波も来つて涵す。それを歓び楽しむことで、わしは人后に落ちはせん。しかし畢竟大江である。徒して渡れる小渓でない。その実際に立脚せんで、人の裁きはできんのだ。咄! 何たる非礼のその直視!
断じてわしも譲歩せん。森々と青いこの対立、
森々と…森々と……森森と青い………
…………
……いつか向ふが人の分子を喪くしてゐる。皮を一枚脱いだのだ。小さな天狗のやうでもある。それから豺のトーテムだ。頬が黄いろに光ってゐる。白い後光も出して来た。こゝで折れては何にもならん。断じてその眼を克服せよ、たかゞ二つの節穴だ。もっともたゞ節穴〔よ〕りは、むしろ二つの覗き窓だ。何だかわたしが、たった一人、居ずまゐ正してこゝに座り、やつらの仲間がかはるがはる、その二っつの小窓から、わたしを覗いてゐるやうだ。……あゝ何のことだ 縁起でもない。人の眼などといふものは、それを剔出して見れば、たかゞ小さな暗函だ。奥行二寸もあるんでない。さうかと云ってあ〔ゝ〕いふ眼付き、厭な眼付は打ち消し得ない。こんな眼を遺伝した、父祖はいったい何物だらう。かういふ意志や眼といふものが、一代二代でできはしない。代々糺罪の吏ででもあるか、或は逆に苛政の下、〔喘〕いだ民の末でもあるか。今は対等、正しく今は対等だ。まだ見るか。まだ見るか。尚且つ見るか。対等だ。瞬だけは…

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