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『鉢の子』から『其中庵』まで
『はちのこ』から『ごちゅうあん』まで
作品ID48233
著者種田 山頭火
文字遣い新字新仮名
底本 「山頭火随筆集」 講談社文芸文庫、講談社
2002(平成14)年7月10日
初出「「三八九」復活第四集」1932(昭和7)年12月15日
入力者門田裕志
校正者仙酔ゑびす
公開 / 更新2008-07-20 / 2014-09-21
長さの目安約 10 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

この一篇は、たいへんおそくなりましたけれど、結庵報告書ともいうべきものであります。井師をはじめ、北朗兄、緑平兄、酒壺洞兄、元寛兄、白船兄、樹明兄、そのほか同人諸兄姉の温情によって、句集が出版され、草庵が造作されました。おかげで私は山村庵居の宿題を果すことが出来て、朝々、山のしずけさ人のあたたかさを満喫しております。ここに改めてお礼とお詑とを申し上げる次第であります。

 一昨年――昭和五年の秋もおわりに近い或る日であった。私は当もないそして果てもない旅のつかれを抱いて、緑平居への坂をのぼっていった。そこにはいつものように桜の老樹がしんかんと並び立っていた。
枝をさしのべてゐる冬木
 さしのべている緑平老の手であった。私はその手を握って、道友のあたたかさをしみじみと心の底まで味わった。
 私は労れていた。死なないから、というよりも死ねないから生きているだけの活力しか持っていなかった。あれほど歩くことそのことを楽しんでいた私だったが、
『歩くのが嫌になった』
と呟かずにはいられない私となっていた。それほど私の身は労れていたのである。
『あんたがほんとに落ちつくつもりなら』緑平老の言葉はあたたかすぎるほどあたたかだった。
 こうして其中庵の第一石は置かれたけれど、じっとしていられる身ではない。私はひとまず熊本へ帰ることにした(実をいえば、私には行く方向はあっても帰る場所はないのである)。
 冬雨の降る夕であった。私はさんざん濡れて歩いていた。川が一すじ私といっしょに流れていた。ぽとり、そしてまたぽとり、私は冷たい頬を撫でた。笠が漏りだしたのだ。
笠も漏りだしたか
 この網代笠は旅に出てから三度目のそれである。雨も風も雪も、そして或る夜は霜もふせいでくれた。世の人のあざけりからも隠してくれた。自棄の危険をも守ってくれた。――その笠が漏りだしたのである。――私はしばらく土手の枯草にたたずんで、涸れてゆく水に見入った。
 あなたこなたと歩きつづけて、熊本に着いたのはもう年の暮だった。街は師走の賑やかさであったが、私の寝床はどこにも見出せなかった。
霜夜の寝床が見つからない
 これは事実そのままを叙したのであるけれど、気持を述べるならば、
霜夜の寝床がどこかにあらう
となる。じっさい、そういう気持でなければこういう生活が出来るものでない。しかしこれらの事実や気持の奥に、叙するよりも、述べるよりも、詠うべき或物が存在すると思う。
 ようやくにして、場末の二階を間借りすることが出来た。そしてさっそく『三八九』を出すことになった、当面の問題は日々の米塩だったから(ここでもまた、井師、緑平老、元寛、馬酔木、寥平の諸兄に対して感謝の念を新らしくする)。
 明けて六年、一月二月三月と調子よく万事運ぶようであったが、結局はよくなかった。内外から破綻した。ただに私自身が傷ついたばかりでな…

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