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夜長ノート
よながノート
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「山頭火随筆集」 講談社文芸文庫、講談社
2002(平成14)年7月10日
初出「青年 明治四十四年十二月号」1911(明治44)年12月
入力者門田裕志
校正者仙酔ゑびす
公開 / 更新2008-07-25 / 2014-09-21
長さの目安約 4 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 小春日和のうららかさ。のんびりとした気持になって山の色彩を眺める。赤い葉、黄色い葉、青い葉、薄黒い葉――紅黄青褐とりどりのうつくしさ。自然が秋に与えた傑作をしみじみ味わうたのしさ。いつしか、うっとりとして夢みごころになる。自然の無関心な心、秋の透徹した気、午後三時頃の温かい光線が衰弱した神経の端々まで沁みわたって、最う社会もない、家庭もない――自分自身さえもなくなろうとする。
 けたたましい百舌鳥の声にふっと四方の平静が破れる。うつくしい夢幻境が消えて、いかめしい現実境が来る、見ると、傍に老祖母がうとうとと睡っている。青黒い顔色、白茶けた頭髪、窪んだ眼、少し開いた口、細堅い手足――枯木のような骨を石塊のような肉で包んだ、古びた、自然の断片――ああ、それは私を最も愛してくれる、そして私の最も愛する老祖母ではないか。
 老祖母の膝にもたれて『白』と呼び慣れている純白な猫が睡っている。よほどよく睡っていると見えて、手も足も投げ出して長くなれるだけ長くなっている。かすかな鼾の声さえ聞える。
 その猫の尻尾に所謂『秋蠅』が一匹とまっている。じっとして動かない。翅の色も脚の色もどす黒く陰気くさい。衰残の気色がありありと見える。
 秋の田園を背景として、蠅と猫と老祖母と、そして私とより成るこの活ける一幅の絵画。進化論の最も適切なる、この一場の実物教授。境遇と自覚。本能と苦痛。生存と滅亡。
 自覚は求めざるをえない賜である。探さざるをえない至宝である。同時に避くべからざる苦痛である。
 殊に私のような弱者に於て。
       ○
 新刊書を買うて帰るときの感じ、恋人の足音を聞きながら、その姿を待つときの感じ、新鮮な果実に鋭利なナイフをあてたときの感じ。……
 その日の新聞を開いたときの匂い、初めて見る若い女性に遇うたときの匂い、吸物碗の蓋をとったときの匂い、埃及煙草の口を切ったときの匂い、親友から来た手紙の封を破ったときの匂い。……
 穏かな興奮と軽い好奇心と浅い慾望と。……
       ○
 一度行った土地へは二度と行きたくない。一度泊った宿屋へは二度と泊りたくない。一度読んだ本は二度と読みたくない。一度遇った人には二度と遇いたくない。一度見た女は二度と見たくない。一度着た衣服は二度と着たくない――一度人間に生れたから、一度男に生れたから、一度此地に生れたから、一度此肉躰此精神と生れたから。……
 一度でなくして二度となったとき、それは私にとって千万度繰り返すものである。終生□れ難い、離れ得ないものである。
       ○
 いつまでもシムプルでありたい、ナイーブでありたい、少くとも、シムプルにナイーブに事物を味わいうるだけの心持を失いたくない。
 酒を飲むときはただ酒のみを味わいたい、女を恋するときはただ女のみを愛したい。アルコールとか恋愛とかいうことを考えたく…

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