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飢餓地帯を歩く
きがちたいをあるく
副題――東北農村惨状報告書――
――とうほくのうそんさんじょうほうこくしょ――
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「土とふるさとの文学全集 7」 家の光協会
1976(昭和51)年7月20日
初出「中央公論」1932(昭和7)年2月号
入力者林幸雄
校正者富田倫生
公開 / 更新2012-05-15 / 2014-09-16
長さの目安約 32 ページ(500字/頁で計算)
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本文より



また雪が降り出した。
もう一尺五寸、
手の指も足の指もちぎれそうだ。
しかし俺は喰いものをあさりに、
一人山へ登って行く。
俺はいつも、男だ男だと思って、
寒さを消しながら、
夢中で山から山をあさって歩く。

 これは、青森県のある新聞に載せてあったもので、或る農村――八甲田山麓の村の一青年の詩である。詩としての良し悪しはここでは問題としない。只、この短かい詩句の中から、大飢饉に見舞われたこの地方の百姓達の、生きるための苦闘をはっきり想い浮べて貰えれば足るのである。殊に、
「俺はいつも、男だ男だと思って、寒さを消しながら、夢中で山から山をあさって歩く」という文句の、男だ男だと、ひとりで我ん張っているところが、あまりに単純素朴であるだけ、哀れにも惨めではないか。
 私も、常陸の貧乏な百姓村に生れて、百姓達の惨めな生活は、いやというほど見て来た。また、東京へ出てからは、暗黒街にうごめく多くの若い女達、失業者街にうろつく多くの浮浪者達の、絶望的な生活も、げんなりするほど見て来た。そうして、人間、飢えということが、どんなことであるか、それはどんな結果を見るか、ということも、あらゆる機会あらゆる場合で見て来た。
 しかし、右の詩句に現われているような、単純にして素朴な苦闘ぶりには、それが、大凶作、大飢饉地帯の中であるだけに、私は、今までの暗黒街の女群や、ルンペン群の生活苦闘に対して感じたのとはまた異った、一種特別の暗然たる気持ち――泣きながら眠って行く孤児を見るような淋しい暗さを感ぜずにはいられなかったのである。
 で、私は考えずにはいられなかった。果してこれが、飢饉地帯の百姓達の最後までの生き方であろうか。多くの百姓達は、食物が尽き果てて、ついに餓死する時まで、同じように黙々として、何ものも恨まず、何ものにも訴えずに終るのであろうか?
 岩手県下に三万余人、青森県下に十五万人、秋田県下に一万五千人、そうして北海道全道には二十五万人、総計四十五万人近くの百姓達は、この冬の氷と雪に鎖されながら、字義通り餓死線上に立たされているという。
 私は、これらの人達の中の幾人かと会って話し合い、以上の疑問をただして見たかった。即ち、それらの百姓達の胸の奥には、この大凶作、大飢饉に対して、どんなことが考えられているか、どんな生き方が考えられているか、またそれが今、どんな具体的な姿となって現われつつあるか、そのほんとうのところを知りたかった。――私は出かけて行ったのである。
 それは今から、十日ほど前、昨年十二月二十七日の午後一時頃であった。私は先ず、岩手県下で最もひどかったという地方――岩手県の御堂村という部落へ入って行った。ここは、盛岡市から北へ一時間ほど乗り、沼宮内という小駅で降りて、更らに徒歩で一里近く山手に入った所である。
 空は晴れたり曇ったりしていたが、やがて、北…

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