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日記
にっき
作品ID4832
副題01 一九一三年(大正二年)
01 せんきゅうひゃくじゅうさんねん(たいしょうにねん)
著者宮本 百合子
文字遣い新字新仮名
底本 「宮本百合子全集 第二十三巻」 新日本出版社
1979(昭和54)年5月20日
入力者柴田卓治
校正者土屋隆
公開 / 更新2010-04-17 / 2014-09-21
長さの目安約 29 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

七月二十一日 晴
 木の葉のしげみや花ずいの奥にまだ夜の香りがうせない頃に目が覚めた。外に出る。麻裏のシットリとした落つきも、むれた足にはなつかしい。
 この頃めっきり広がった苔にはビロードのやわらかみと快い弾力が有ってみどりの細い間を今朝働き出してまだ間のない茶色の小虫が這いまわって居るのも、白いなよなよとした花の一つ二つ咲いて居るのまで、はっきりした頭と、うるみのない輝いた眼とで私は知ることが出来た。人間を最も、力の満ちた、快活な時にする朝を私は有難い物に思われた。いつもより沢山……紅葉、紫陽花、孔雀草、八つ手、それぞれ特有な美くしさと貴さで空と土との間を色どって居る。どんなささやかなもの、そんなまずしげなものにでも朝のかがやきはいおって居る。
「力強い、勇気の有る、若々しい朝は、立派な洗面器で顔を洗って、おしまいして坐布団の上にチョロンと坐るよりは小川の流れでかおを洗いグルグルまきにして紺の着物に赤いたすきで田草をとり草を刈り黒い土を耕す方がつり合って居て立派にちがいない」
 こんな事を考えながら小一時間もうき立った、この上もないうれしい気持でおどる様な足つきでブラついた。私の目にうつるすべてのもののそばにある木々の葉ずれも、空にある雲の走るのもみんなが私と同じたのしい歌をうたい、おどった足つきで居て、私が手をだしたら一緒におどって呉れはしまいかと思われるほど、私の心はたのしかった。家に入ると皆おきて居た。にこやかなおだやかな朝食をすませた。小さい弟[#中條英男、中條家三男]がすずめがおや鳥がひなにこうしてたべさせるんだと云って私に目をつぶらせて小さい細い白い箸の先にしこたまからしをぬりつけて口中にぬってくれた。私は、どんなに見っともないかっこうだろうと思いながらもくしゃみをし涙をながさないわけにはいかなかった。けれどもそれさえも私はこの上なくうれしかったのでくしゃみをして涙をながす間におなかをおさえて男のような大きな声で笑いつづけた。間もなく、しずかなゆるやかな光線の流れ込む部屋に入って鉛筆をとった。二時間ばかり算術をした。本をよんだ。世間知らずな若い人達の詩と文章とを……、
 これ等の本をよむ間、私は切りこの可愛いガラスのうつわの中から、銀紙につつまれたチョコレートをかみながらよんで居た。
 紙の間にもチョコレートの香の中にもうれしさはとけこんで居た。
 うれしさにあとおしをされて
「ついばんであげよか小麦さん」
白いひよこは云いました、
小麦の芽生えはおどろいて
細いその葉をふるわせて
やさしい声で云いました、
「もちっとまって下さいな
わたしの身丈のもう少し
大人に近くなるまでは」
菫の香りのとけ込んだ
春の空気はフンワリと
二人のまわりをつつみます

紫紺にかがやくせなもった
つばめが海を越えて来た
小さい可愛い背の上に
夏の男神を乗せて来た…

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