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わが敬愛する人々に
わがけいあいするひとびとに
作品ID48335
著者北原 白秋
文字遣い新字旧仮名
底本 「日本の名随筆 別巻55 恋心」 作品社
1995(平成7)年9月25日
入力者浦山敦子
校正者noriko saito
公開 / 更新2009-06-20 / 2014-09-21
長さの目安約 5 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 凡てが小生には復と得難い哀しい省察の時を与へて呉れました。色々と小生の近状を御配慮下さる方々に、ただ小生が健全で如何なる苦痛と羞辱とにも耐え忍び得る程、敬虔な勇気ある状態に自己の霊を温めつゝある事をお伝へしたいと思ひます。
 文芸の汚辱者として高品な某文芸新聞の譏笑を受けた事に就きましては、それらの凡てが真実で無かつたにせよ、小生は今更何等の弁解も致し度く御座いません。哀れな芸術の追求者たる小生にただ軽い微笑と小さな寛恕とを彼等一団の文芸記者――詩人文士達にお送りする丈の光栄を有しさへすれば凡てが無事なやうに思はれます。
 小生は何事も有の儘に申上ます。或る人――の告訴に依り、身を斬られるほど耻かしい奸通被告事件の一方の被告として、某分署長及某主任検事の再三の同情ある取做しがあつたに拘らず、色々の事情から改めて検事局の摘撥を止むなく受けるやうに為つた事も事実です。先月の六日の第一回の裁判を受け、女と共に他の窃盗人殺印鑑偽造等の囚徒達と因人馬車に同車して市ヶ台の未決監に送られたのも事実です。其処で小生は第八監十三室「三八七」といふナンバーに名を改めました。第二回の裁判には編笠に手錠を篏められた儘他の犯罪人と一緒にぞろぞろ曳かれて出なければなりませんでした。而して在監二週日の後同月の二十日に保釈の許可を得て帰宅、同二十八日に第三回の公判延期となり、本月十日の公判に簡単に無罪免訴の言渡しを受けて、刑事上には全く此の事件と関係を絶つ事になりました。此の苦しい数十日の間にも小生はたゞ小生が悲しいほど凡てに信実であつたといふ事と、些かでも自分自身のデリケエートな優しい気持ちを失はないで居られたといふ難有い事実とをお知らせ出来ます事はこれも悲しい芸術家の些細な矜待の一つで御座います。
 斯うなる迄の消息を簡略にお伝へするには事情があまりに錯綜してゐます上、強ひて世間の同情と憐憫を仰ぐやうな弁訴の致方は小生のやうな浅はかな者の瞳にも決して好ましい事には映りませんので凡てを人々の判断にお任せしたいと存じます、尚又自己の利益の為めにこの上他の人に不愉快な内省の時間を与へたり、少しでも自己を美くしいものに見做したり致しますのは如何にも男らしく無い様にも思はれますので、ここには何等の相当な弁解も致しません。また強ひて試みたところで何時の世にもその当時に於ける民衆の正しい理解は到底求め得られるものでは御座いません。芸術家の立場としてはたゞ敬虔にして信実な高い芸術の力に頼る外に最上の謙徳は無い、――と、かうしみじみと小生には考へ得られましたのです。
 兎に角、小生が他の妻女たる人と苦しい恋に堕ちかかつてゐて猶旦二人共長い間耐え忍んでゐた事も事実ですし、激しい盲目的な愛情の為に夫も棄てその子も棄て真に棄身になつて縋りついて来た女に対して終に自己の平時の聡明に自ら克ち得なかつた事も極めて…

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