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手紙
てがみ
作品ID48369
著者堀 辰雄
文字遣い旧字旧仮名
底本 「堀辰雄作品集第四卷」 筑摩書房
1982(昭和57)年8月30日
初出「ヴアリエテ 第四号」三才社、1934(昭和9)年1月1日
入力者tatsuki
校正者染川隆俊
公開 / 更新2011-04-20 / 2014-09-16
長さの目安約 4 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 野田君
 また惡いさうだね。だから言はないこつちやない。ぢつと寢てゐたまへ。病氣はこつちで辛抱強く馴らしてやるがいいんだ。一度馴れてしまつたら、こんなに可愛い奴はない。

 池谷さんが死んだんでこれからお葬式に行くところだ。時間が半端なので、いまコロンバンで、珈琲をのみながら、この手紙を書いてゐるんだ。
 前から君に「オフェリヤ遺文」のことを何か書けと言はれてゐるので、何か書かう書かうと思つてゐたが、この頃僕は非常に混亂した氣持でゐるんだ。それで、「オフェリヤ遺文」を書きながら小林が行つてゐたやうな、あんな遠いところまで、とても今の僕にはついて行けさうもない。
 しかし今度「オフェリヤ遺文」を讀み直して、いままでとは全然異つた興味をもつて僕はこの作品を眺め出してゐる。どんな興味かといへば――簡單に言つてしまふと、僕は今度こんなアムビシァスな作品が書いて見たくなつてゐるんだ。
 これは小林の私小説であると同時に、自分とはまるで異つた他人の中に自分を生かさうとした小説ではないかしらん。さうしてさういふ底の小説を書いた小林の氣持が三年もかかつて漸つと僕に解りかけてきたやうな氣がする。
 これは小林の「エグモント」だつたんだ。僕は最近ゲエテの「エグモント」を讀んだが、あれを書いたゲエテの氣持が非常によく解つた。「ゲエテはデモンに憑かれてリリイとの戀に落ちた。もしその戀を遂げてしまつたら、ゲエテは自滅する他はなかつたらう。しかしゲエテはその一歩手前に踏み止つて、それと同じ道を最後の一歩まで行つて自滅するエグモントを書いて自分自身を救つた。」たしか鴎外がゲエテ傳の中でそんなことを書いてゐたと覺えてゐる。
 恐らく小林がオフェリヤを書きたかつたのはそれと同じ氣持だつたんではないかと思ふ。デモンに憑かれた小林にはそれをふり落すためには、一人のオフェリヤを書くことが絶對に必要だつたんだ。
 しかし小林がオフェリヤを書いた動機はそれに盡きてゐない。ゲエテはエグモントを描くために、實際は當時既に妻子のあつた相當の年輩の男だつたのに、自分の戲曲のなかでは彼を若い獨身者として取扱つてゐる。自分に引き寄せたんだ。しかし小林はことさら自分とは似ても似つかないやうなオフェリヤを選んでゐる。
 小林はそのなかに自分を生かしながら、しかも自分とはまるで異つた他人を描かうとしたんだ。なんといふアムビシァスな仕事だらう。――しかしデモンをふり落すことには成功した小林も、どこまでその他人を描けたか? 見事にそれには失敗した。
 そのすばらしい失敗以來、小林はこの種の作品をまだ書かずにゐる。しかし書きたくつて書きたくつてしようがないらしい。僕はその作品を非常に待つてゐる。
 小林よ。デモンに憑かれろ! 憑かれろ!

     追伸

 さつきの手紙を北原君に托してコロンバンを出てしまつてから、町の中…

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