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地方主義篇
ちほうしゅぎへん
副題(散文詩)
(さんぶんし)
著者
文字遣い旧字旧仮名
底本 「日本現代文學全集 54 千家元麿・山村暮鳥・佐藤惣之助・福士幸次郎・堀口大學集」 講談社
1966(昭和41)年8月19日
入力者川山隆
校正者土屋隆
公開 / 更新2008-09-17 / 2014-09-21
長さの目安約 39 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

最初の時代


 眞青な海のうへに夏のやうでもなく、秋のやうでもなく、慥かに春の日がその華かさが更に、烈しいとでも言ひたい位の正午の光を受けて、北海道通ひの蒸汽船が二艘、遙か遠くを煙りを吐いて走つてゐる。わたしは今にその玩具のやうに小さいながら、黒びかりする船の姿と、吃水面際の赤い彩り、薄くたなびいた煙り、またはこれ等一切を取りまく、春光のもとの明色の濃い海の青を、三十何年來幻のやうに思ひ泛べられる。
 十五の時には黒い夏の日本海が十間ばかり白い泡を吐いて、無人の岩くれ立つた磯を打つのを見た。岩の間には淡色な撫子や、しをらしい濃紫の桔梗が咲いて居り、磯を離れて半丁ばかりのところに、屏風のやうに屹立した斷崖の上には、もう秋の口らしい蜩が鳴いてゐた。これはまだ郷里の中學にゐた頃、ひと夏その地方の西海岸を廻つた時の印象であつた。
 二十の年には、その頃もう東京に來てゐた時分だが、夏の眞盛り時、房州海岸を半月あまり旅をして、北日本海の海とはまるで違つてゐる、緑の濃い、明色な太平洋の海を椿の樹々のあひだから眺めた。
 だが日本海と格別ちがつたこの冬眞中にさへ暖かく明るい大洋も、あのわたしが三十何年まへ山裾の城下市から、十何里はなれた港へゆく途中、うまれて初めて見た耀かしいばかり綺麗な、濃青な海の色あひには及ばない。その時の汽船が北海道通ひの船だといふことを知つたのも、それはも少し年とつてからである。蒸汽といふものだといふことを知つたのも、あとでのことである。更にそれが海といふものであるといふことも、まだ齒のやつと生えかけたばかりのその時のわたしには、わかつてゐたことでは無い。ただわたしはそれを沙漠のなかの映像ででもあるかのやうに、一生涯わすれ得ない美しい極彩圖、この世に生を享けて以來最初の神祕な記憶、その一瞬間から永いのちのちまで蠱惑する「夢」として殘されたのである。
 移住民……! これもあとで分つたのだが、わたしの家族はそのとき、親代々住みなれた地方一の城下市を離れ、幌をかけた荷馬車に搖られ搖られして、山裾から平原を北に横ぎり、山峽の險しい國道をとほり、峠をのぼり下りして、その別な平原にまさに這入らうとした口で突然と山が切れ、海が右にひろがつて、にこやかに、氣輕に、春のひかりのもとに眩ゆいばかり青々と、荷馬車の上の一行に現はれたのである。

 わたしの一家はその頃零落れたどん底にゐたらしいが、父も母も、またわたしにはただひとりの同胞たる兄も、みな綺麗な事では知合ひの間には評判であつた。母はわたしの幼な年にも覺えてゐるが、色白の面に剃つた青い眉根と、おはぐろとの映りの好い顏だちであつた。その頃十一の小ましやくれた、しかし勉強に精を出す兄は、女のやうに美しいと賞められてゐた。父はと言へば御維新の後々までもチヨン髷をゆひ、「玉蟲のやうに光る着物を着た」好い男と言はれた。…

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