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貴婦人
きふじん
著者
文字遣い新字旧仮名
底本 「日本幻想文学集成1 泉鏡花」 国書刊行会
1991(平成3)年3月25日
初出「三越」1911(明治44)年10月
入力者門田裕志
校正者川山隆
公開 / 更新2009-05-23 / 2014-09-21
長さの目安約 16 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

        一

 番茶を焙じるらしい、いゝ香気が、真夜中とも思ふ頃芬としたので、うと/\としたやうだつた沢は、はつきりと目が覚めた。
 随分遙々の旅だつたけれども、時計と云ふものを持たないので、何時頃か、其は分らぬ。尤も村里を遠く離れた峠の宿で、鐘の声など聞えやうが無い。こつ/\と石を載せた、板葺屋根も、松高き裏の峰も、今は、渓河の流れの音も寂として、何も聞えず、時々颯と音を立てて、枕に響くのは山颪である。
 蕭殺たる此の秋の風は、宵は一際鋭かつた。藍縞の袷を着て、黒の兵子帯を締めて、羽織も無い、沢の少いが痩せた身体を、背後から絞つて、長くもない額髪を冷く払つた。……其の余波が、カラカラと乾びた木の葉を捲きながら、旅籠屋の框へ吹込んで、大な炉に、一簇の黒雲の濃く舞下つたやうに漾ふ、松を焼く煙を弗と吹くと、煙は筵の上を階子段の下へ潜んで、向うに真暗な納戸へ逃げて、而して炉べりに居る二人ばかりの人の顔が、はじめて真赤に現れると一所に、自在に掛つた大鍋の底へ、ひら/\と炎が搦んで、真白な湯気のむく/\と立つのが見えた。
 其の湯気の頼母しいほど、山気は寒く薄い膚を透したのであつた。午下りに麓から攀上つた時は、其の癖汗ばんだくらゐだに……
 表二階の、狭い三畳ばかりの座敷に通されたが、案内したものの顔も、漸つと仄くばかり、目口も見えず、最う暗い。
 色の黒い小女が、やがて漆の禿げたやうな装で、金盥に柄を附けたらうと思ふ、大な十能に、焚落しを、ぐわん、と装つたのと、片手に煤けた行燈に点灯したのを提げて、みし/\と段階子を上つて来るのが、底の知れない天井の下を、穴倉から迫上つて来るやうで、ぱつぱつと呼吸を吹く状に、十能の火が真赤な脈を打つた……冷な風が舞込むので。
 座敷へ入つて、惜気なく真鍮の火鉢へ打撒けると、横に肱掛窓めいた低い障子が二枚、……其の紙の破から一文字に吹いた風に、又※[#「火+發」、105-14]としたのが鮮麗な朱鷺色を染めた、あゝ、秋が深いと、火の気勢も霜に染む。
 行燈の灯は薄もみぢ。
 小女は尚ほ黒い。
 沢は其のまゝにじり寄つて、手を翳して俯向いた。一人旅の姿は悄然とする。
 がさ/\、がさ/\と、近いが行燈の灯は届かぬ座敷の入口、板廊下の隅に、芭蕉の葉を引摺るやうな音がすると、蝙蝠が覗く風情に、人の肩がのそりと出て、
「如何様で、」
 とぼやりとした声。
「え?」と沢は振向いて、些と怯えたらしく聞返す、……
「按摩でな。」
 と大分横柄……中に居るものの髯のありなしは、よく其の勘で分ると見える。ものを云ふ顔が、反返るほど仰向いて、沢の目には咽喉ばかり。
「お療治は如何様で。」
「まあ、可ござんした。」
 と旅なれぬ少ものは慇懃に云つた。
「はい、お休み。」
 と其でも頭を下げたのを見ると、抜群なる大坊主。
 で、行燈に伸掛るかと、ぬつく…

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