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黒壁
くろかべ
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「文豪怪談傑作選 泉鏡花集 黒壁」 ちくま文庫、筑摩書房
2006(平成18)年10月10日
初出「詞海 第3輯第9巻、第10巻」1894(明治27)年10月、12月
入力者門田裕志
校正者noriko saito
公開 / 更新2015-08-04 / 2015-05-24
長さの目安約 9 ページ(500字/頁で計算)
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本文より



 席上の各々方、今や予が物語すべき順番の来りしまでに、諸君が語給いし種々の怪談は、いずれも驚魂奪魄の価値なきにあらず。しかれども敢て、眼の唯一個なるもの、首の長さの六尺なるもの、鼻の高さの八寸なるもの等、不具的仮装的の怪物を待たずとも、ここに最も簡単にして、しかも能く一見直ちに慄然たらしむるに足る、いと凄まじき物躰あり。他なし、深更人定まりて天に声無き時、道に如何なるか一人の女性に行逢たる機会是なり。知らず、この場合には婦人もまた男子に対して慄然たるか。恐らくは無かるべし、譬い之ありとするも、そは唯腕力の微弱なるより、一種の害迫を加えられんかを恐るるに因るのみ。
 しかるに男子はこれと異なり、我輩の中に最も腕力無き者といえども、なお比較上婦人より力の優れるを、自ら信ずるにも関らず、幽寂の境に於て突然婦人に会えば、一種謂うべからざる陰惨の鬼気を感じて、勝えざるものあるは何ぞや。
 坐中の貴婦人方には礼を失する罪を免れざれども、予をして忌憚なく謂わしめば、元来、淑徳、貞操、温良、憐愛、仁恕等あらゆる真善美の文字を以て彩色すべき女性と謂うなる曲線が、その実陰険の忌わしき影を有するが故に、夜半宇宙を横領する悪魔の手に導かれて、自から外形に露わるるは、あたかも地中に潜める燐素の、雨に逢いて出現するがごときものなればなり。
 憤ることなかれ。恥ずることを止めよ。社会一般の者ことごとく強盗ならんには、誰か一人の罪を責むべき。陰険の気は、けだし婦人の通有性にして、なおかつ一種の元素なり。
 しかして夜間は婦人がその特性を発揮すべき時節なれば、諸君もまた三更無人の境人目を憚らざる一個の婦人が、我より外に人なしと思いつつある場合に不意婦人に邂逅せんか、その感覚果していかん。予は不幸にしてその経験を有せり。
 予は去にし年の冬十二月、加賀国随一の幽寂界、黒壁という処にて、夜半一箇の婦人に出会いし時、実に名状すべからざる凄気を感ぜしなり。黒壁は金沢市の郊外一里程の所にあり、魔境を以て国中に鳴る。けだし野田山の奥、深林幽暗の地たるに因れり。ここに摩利支天の威霊を安置す。
 信仰の行者を除くの外、昼も人跡罕なれば、夜に入りては殆ど近くものもあらざるなり。その物凄き夜を択びて予は故らに黒壁に赴けり。その何のためにせしやを知らず、血気に任せて行いたりし事どもは、今に到りて自からその意を了するに困むなり。昼間黒壁に詣りしことは両三回なるが故に、地理は暗じ得たり。提灯の火影に照らして、闇き夜道をものともせず、峻坂、嶮路を冒して、目的の地に達せし頃は、午後十一時を過ぎつらん。
 摩利支天の祠に詣ずるに先立ちて、その太さ三拱にも余りぬべき一本杉の前を過ぐる時、ふと今の世にも「丑の時詣」なるものありて、怨ある男を咒う嫉妬深き婦人等の、此処に詣で来て、この杉に釘を打つよし、人に聞きしを懐出でたり…

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