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蠅を憎む記
はえをにくむき
著者
文字遣い新字旧仮名
底本 「日本幻想文学集成1 泉鏡花」 国書刊行会
1991(平成3)年3月25日
初出「文芸界」1901(明治34)年6月
入力者門田裕志
校正者川山隆
公開 / 更新2009-06-04 / 2014-09-21
長さの目安約 7 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

        上

 いたづら為たるものは金坊である。初めは稗蒔の稗の、月代のやうに素直に細く伸びた葉尖を、フツ/\と吹いたり、[#挿絵]たけた顔を斜めにして、金魚鉢の金魚の目を、左から、又右の方から視めたり。
 やがて出窓の管簾を半ば捲いた下で、腹ンばひに成つたが、午飯の済んだ後で眠気がさして、くるりと一ツ廻つて、姉の針箱の方を頭にすると、足を投げて仰向になつた。
 目は、ぱつちりと[#挿絵]いて居ながら、敢て見るともなく針箱の中に可愛らしい悪戯な手を入れたが、何を捜すでもなく、指に当つたのは、ふつくりした糸巻であつた。
 之を指の尖で撮んで、引くり返して、引出の中で立てて見た。
 然うすると、弟が柔かな足で、くる/\遊び廻る座敷であるから、万一の過失あらせまい為、注意深い、優しい姉の、今しがた店の商売に一寸部屋を離れるにも、心して深く引出に入れて置いた、剪刀が一所になつて入つて居たので、糸巻の動くに連れて、夫に結へた小さな鈴が、ちりんと幽に云ふから、幼い耳に何か囁かれたかと、弟は丸々ツこい頬に微笑んで、頷いて鳴した。
 鳴るのが聞えるのを嬉しがつて、果は烈しく独楽のやう、糸巻はコトコトとはずんで、指をはなれて引出の一方へ倒れると、鈴は又一つチリンと鳴つた。小な胸には、大切なものを落したやうに、大袈裟にハツとしたが、ふと心着くと、絹糸の端が有るか無きかに、指に挟つて残つて居たので、うかゞひ、うかゞひ、密と引くと、糸巻は、ひらりと面を返して、糸はする/\と手繰られる。手繰りながら、斜に、寝転んだ上へ引き/\、頭をめぐらして、此方へ寝返を打つと、糸は左の手首から胸へかゝつて、宙に中だるみ為て、目前へ来たが、最う眠いから何の色とも知らず。
 自ら其を結んだとも覚えぬに、宛然糸を環にしたやうな、萌黄の円いのが、ちら/\一ツ見え出したが、見る/\紅が交つて、廻ると紫になつて、颯と砕け、三ツに成つたと見る内、八ツになり、六ツになり、散々にちらめいて、忽ち算無く、其の紅となく、紫となく、緑となく、あらゆる色が入乱れて、上になり、下になり、右へ飛ぶかと思ふと左へ躍つて、前後に飜り、また飜つて、瞬をする間も止まぬ。
 此の軽いものを戦がすほどの風もない、夏の日盛の物静けさ、其の癖、こんな時は譬ひ耳を押つけて聞いても、金魚の鰭の、水を掻く音さへせぬのである。
 さればこそ烈しく聞えたれ、此の児が何時も身震をする蠅の羽音。
 唯同時に、劣等な虫は、ぽつりと点になつて目を衝と遮つたので、思はず足を縮めると、直に掻き消すが如く、部屋の片隅に失せたが、息つく隙もなう、流れて来て、美しい眉の上。
 留まると、折屈みのある毛だらけの、彼の恐るべき脚は、一ツ一ツ蠢き始めて、睫毛を数へるが如くにするので、予て優しい姉の手に育てられて、然う為た事のない眉根を寄せた。
 堪へ難い不快にも、余り…

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