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吾嬬の森
あづまのもり
著者
文字遣い旧字旧仮名
底本 「桂月全集 第二卷 紀行一」 興文社内桂月全集刊行會
1922(大正11)年7月9日
入力者H.YAM
校正者小林繁雄、門田裕志
公開 / 更新2008-09-02 / 2014-09-21
長さの目安約 4 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

夜光命と裸男とに、山神を加へて三人、押上にて電車を下り、東に行くこと三町ばかりにして、柳島の妙見堂に至る。堂は先年火災に罹りたるが、新たに建てられたり。されど、靈松は二つながら枯れて、之に代るもの無し。稻荷に狐、妙見に白蛇、知らず、松の空洞の中の白蛇なほ恙なきや否や。近松門左衞門の碑、歌川豐國埋筆の碑などあり。このあたりに名高き橋本といふ料理店を左に見て、妙見橋を渡り、川に沿うて右折して萩寺に至る。小さき山門に小さき仁王あり。而も石製也。『東京に石の仁王あるは、雜司ヶ谷の鬼子母神と、田端の與樂寺と、瀧野川の金剛寺と、戸塚の亮朝院と、こゝとのみなり』と夜光命説明す。門内に萩の切株五六十あり。『もとはずつと多かりき。眞の名は龍眼寺なるが、萩多き故萩寺と稱す。その萩を植ゑたるに就き二説あり。其の一は、住持博奕を好み、殊に上手なりければ、往いて相手になる者、みな負けて剥取られたり。囚つて世人、剥寺と稱す。後の住持一計を案じ、萩を植ゑて、剥寺を變じて萩寺となしたりと。其の二は、もと此のあたりには追剥多く出でたれば、因つて世人、追剥を略して剥寺と稱す。住持萩を植ゑて、萩寺と稱せしむるに至れりと。二説いづれにしても、禍を轉じて福となす。氣の利きたる住持也。徒然草の榎木僧正とは、あべこべなり』と、夜光命説明すれば、『その榎木僧正とは』と山神問ふ。『良覺僧正とて極めて腹立ち易き坊主あり。坊の傍らに榎木ありければ、世人冷かして榎木僧正といふ。僧正怒りて榎木を切る。切株なほ存す。世人因つて切株の僧正といふ。僧正愈[#挿絵]怒りて、其の切株を掘り取る。其の跡池となる。世人因つて堀池の僧正と云へり』と夜光命重ねて説明す。裸男、山神を顧み、『卿も榎木僧正の仲間に非ずや』と云へば、『口が惡い』とて嗔る。『その嗔るが兪[#挿絵]以て榎木的なり』と冷かせば[#「冷かせば」は底本では「冷かせは」]、泣きさうになる。裸男歎息して曰く、『女子と小人とは、養ひ難い哉』。
 寺男を頼みて、庭の木戸を開けてもらひ、池畔に立てる萩の舍大人落合直文先生の歌碑を見る。其の歌に曰く、
萩寺の萩おもしろし露の身の
  おくつき處こゝと定めむ
 去つて、龜戸天神に詣づ。府下有數の名祠也。池の中央、賽路に方りて、二つの太鼓橋あり。池には鯉多く、池をめぐりて藤棚相連なる。祠後の梅林無くなり、その代りに藤棚出來て、龜戸天神は益[#挿絵]藤の名所也。菅公の生前、さん/″\藤原氏に責められたるに、神となりても、なほ藤責めになるとは、如何なる因縁ぞや。境内に石碑多きが中に、中江兆民翁の碑、殊に人の目を惹く。
 枯れ殘りたる臥龍梅を一瞥して去る。東京第一の梅林なりき、水戸義公、臥龍梅と命名したりき。徳川八代將軍、更に代繼梅と命名したりき。明治の初には、皇太后の行啓さへありきなどいふも、死兒の齡を數ふるの類なるべし。木下川梅園も無…

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