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房州の一夏
ぼうしゅうのひとなつ
著者
文字遣い旧字旧仮名
底本 「桂月全集 第二卷 紀行一」 興文社内桂月全集刊行會
1922(大正11)年7月9日
入力者H.YAM
校正者小林繁雄、門田裕志
公開 / 更新2008-12-17 / 2014-09-21
長さの目安約 9 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

        一 沼村

面白かりしは、房州に於ける一夏。指を屈すれば、凡そ二た昔となりぬ。一行の盟主ともいふべき佐々木高美氏は、既に世に在らず。同行者の中、今は海軍將校となれるもあり、工學士となれるもあり、理學士となれるもあり、中學教員となれるもあり。當時はいづれも血氣盛りの青年なりき。
 館山の町つゞきなる沼村に、二階が一間、下が二間なる家を借り、飯だけは、家主にたいてもらひ、餘は一切、各自交代して之を辨じぬ。同じく寓するもの、少なき時は三四人となり、多き時は十人にも及べり。その多くなりたる時は、枕足らず。トランプの勝負によりて、枕の有無を定めしこともあり。日暮れぬさきより、早く枕を懷ろにせるもあり。時に腕力に訴へて、枕の奪ひあひをせしこともありき。
 毎日、海水に泳ぐのみにては足れりとせず。舟をうけて、沖ノ島や、高ノ島に遊び、汐入川に網うち、小川をかへぼししたり、すくひたりして、小魚を漁る。日がへりの遠足は度々したりしが、二三日かけて旅せしこともあり。雨ふれば、トランプに日をくらす。なほあかずして、海に盥舟までうけて遊ぶ。かくて、ひと夏は、夢のうちに過ぎぬ。

        二 鏡ヶ浦

宮は安房神社、官幣大社にして、天太玉命を祀る。寺は那古の觀音、船形觀音。本織村の延命寺には、里見氏累代の墓あり。白濱の杖珠院にも、里見氏の墓あり。鹽見村の龍伏の松、千年の老幹偃蹇して、ひろさ百坪に及ぶ。元名の覇王樹、高さ一丈にあまる。いづれも稀代の珍也。
 洲ノ崎を左にし、大武岬を右にせる一大灣を館山灣と稱し、又鏡ヶ浦と稱す。浪はおだやかなり。遠淺にして水清く、最も海水浴に適す。八幡の濱邊には、松林つゞきて、逍遙するに快し。この一帶の濱邊より海をへだてて富士山を望むの景色は、われ幾たび見ても、飽くことを知らざりき。

        三 清澄山

同寓者四人のみの時に、瀬戸氏に留守番を頼みて、藤井、生駒二氏と共に、房州を一周せしことあり。朝、沼村の宿を出で、神餘、瀧口を經て、白濱に到る。大盤石のひろがりて、海につき出でたる處を野島崎と稱す。燈臺あり。浪あらくして、景致雄壯也。杖珠院に、里見氏の祖、義實の墓を弔ひ、七浦を過ぎて、白須賀の濱邊に來りし頃は、既に夜もふけたり。この行、露宿するつもりなりしかば、蚊の防禦にとて、蚊帳を携へたるが、この濱邊をそれと定めて、砂上に寢ころぶ。萬里の波上、たゞ一痕の明月を見る。蚊は、一匹も居らず。天涯より吹き來る風、凉しさの度を越して冷やかなるに、蚊帳を布團にかへて、すや/\眠りぬ。顏のかゆく、また痛きに、目をさませば、蟹の横行せる也。蟹にさめしは、我れのみならず、他の二氏も同樣也。一たび覺めては、またとは眠られず、冷氣身にしむ。時計を見れば、まだ午前三時すぎなれども、むしろ歩きて暖を取らむと發足しぬ。
 海岸をつたひ/\て、小湊に…

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