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小日向台
こひなただい
著者
文字遣い旧字旧仮名
底本 「桂月全集 第二卷 紀行一」 興文社内桂月全集刊行會
1922(大正11)年7月9日
入力者H.YAM
校正者小林繁雄、門田裕志
公開 / 更新2008-09-14 / 2014-09-21
長さの目安約 4 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

東京に於ける學校の主もなるものは、幾んど城北の臺地に集まれり。本郷臺の帝國大學、第一高等學校、上野臺の東京音樂學校、東京美術學校、目白臺の學習院、女子大學、早稻田より高田臺へかけての早稻田大學、市ヶ谷臺の陸軍士官學校、陸軍中央幼年學校、戸山學校、陸軍砲工學校、氷川臺の東京盲唖學校、小石川臺の高等師範學校、府立第二高等女學校、女子師範學校など、これ也。さき頃、新たに小日向臺に、帝國女子大學建築地と記せる木標が立ちたり。その畫ける指の示すがまゝに小さき路を行けば、大塚彈藥庫に接して、建築中の校舍あり。されど帝國女子大學の看板は無くて、帝國女子專門學校の看板あり。之に附屬せる帝國高等女學校は、其の一部分にて開校せるさま也。校舍將に成らむとして頓挫せるにや、ほんの數人の工人がこつ/\働けるさまにて、いつ出來上ることやら、一見人をして氣の毒の念に堪へざらしむ。木標には、帝國女子大學とありて、校舍には帝國女子專門學校とせざるを得ざる事情を聞けば、益[#挿絵]氣の毒に思はるゝ也。
 設立者は、誰あらう、もと國光社を創めて、國粹發揮を唱へ、「國光」「女鑑」などを發行して、世に其名を知られたる西澤之助氏也。後ち國光社は、教科書肆となり、印刷所となりしが、西氏は轉じて、帝國高等女學校を創めて、今日に至れり。氏は更に帝國女子大學をも創めむと多年苦心の結果、漸く成立せむとせしに、文部省に否認せられたり。さてこそ、女子大學と名乘る能はずして、女子專門學校と名乘れる也。
 何故に文部省が否認したるかは、われ知らず。唯[#挿絵]大學としての設備が不十分なりしなるべく、設備の不十分なるは、資金の不足なるに因るなるべしぐらゐに想像せらるゝ也。さる教育家の話を聞くに、この頃は、女子の高等教育は、數年前のやうには振はず。そは地方の富豪の嗣兒は、中等教育の程度に止まれるに、高等教育を受けたる女子では釣合が取れず、爲に嫁し難き事情あるより、父兄茲に反省して、女子の高等教育を避くるに由るなりと。果して然らば、將來は知らず、當分の内は、帝國女子大學の前途も大いにあやぶまるゝ也。在來、蹉躓に蹉躓を重ねし老事業家西氏の苦心もさこそと思はるゝ也。されど、進歩して止まざる世の中、必ずや我國に女子大學の三つ四つ出來るの日あるべし。目白臺の女子大學も小日向臺と近く東西相對峙し、相競爭すれば一種の壯觀たるを失はず。知らず、西氏が老後の思出でに、よく之を完成するを得るや否や。
 東洋協會專門學校も、この附近に在り。もとは、東洋を冠せずして臺灣を冠し、臺灣向きの人才を教育せしが、韓國滿洲が我が勢力範圍となるに及びて、改めて東洋を冠せり。私立なれど、官の保護金あり。外國語學校と商業學校とを合したるやうな學校なるが、この校の盛衰は、外に及ぼす我が勢力の消長を卜するに足るべし。
 斯かる二大校を有せる小日向臺は、南は江戸川に臨…

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