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閑人
かんじん
作品ID48453
著者原 民喜
文字遣い新字旧仮名
底本 「普及版 原民喜全集第一巻」 芳賀書店
1966(昭和41)年2月15日
入力者蒋龍
校正者伊藤時也
公開 / 更新2013-04-17 / 2014-09-16
長さの目安約 3 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 十二月になると小さな街も活気づいて、人の表情も忙しさうになった。家にゐても、街に出ても、彼は落着かなかったが、昼過ぎになると、やはり拾銭の珈琲代を握り締めて、ぶらりと外に出た。兄貴から譲られた古トンビと、扁平になってしまった下駄で、三十歳の閑人の悲しさうな表情を怺へて、のこのことアスファルトの上を歩いた。しかし、もう以前のやうな無邪気な友達も見あたらなかった。何処へ行っても友達はもう職に就いてゐたり。妻帯者であった。彼を批難するやうな眼つきで、君も早く何とかするのだね、と励ましてくれるのではあったが、彼も今では自分の病気や境遇を説明するのがめんどくさくなった。どうかすると、まだ熱が出たりしたが、ほんとに自分が病気なのかどうか、それさへわからなくなるのでもあった。退院してからもう四年にもなるのだが、それ以来は養生らしい養生も出来ず、身体に自信が持てなかったため、つい、うかうかと青春を見送ってしまったのである。さう云ふことを振返って考へ込むと、彼は心の底から一つの細力が湧いて来て、蹣跚きさうな身体を支へて呉れさうな気がした。実際、此頃では一か八か生命を犠牲にして、何か商売を始めようと考へてもゐた。叔父が古本屋の資本を貸して呉れたら、少しは愁眉が開けさうだった。しかし返事のない叔父は当にもならなかった。母や兄に心配ばかり懸けて来た身が呪はしく、一そのこと自殺した方が皆のためにもなりさうだった。
 しかし彼は今も鳥屋の前に立止って、オタケサン、オタケサンと騒ぎ廻る九官鳥を眺めて、単純にをかしさうに笑ってみた。鳥屋のむかひの昆布屋には荷馬車が留められてゐて、馬が退屈さうに横目を使ってゐる。何処へ行っても見慣れた狭い街の風景で、盛り場の方では今でもチンドン屋が騒ぎ廻ってゐた。彼は何時もの癖でT――百貨店へ入ると、三階まで登って、屋上で猿を眺めた。猿は絶えず枝から枝へ忙しさうに飛び廻ってゐる。猿でも肺病があるのかしら――と想像してみると、何だか嘘のやうな気がした。
 そのうちにいい加減草臥れたので彼は何時も行く喫茶店に入った。するとストーブを独占しながら新聞を読んでゐる屈木の姿がすぐ眼についた。
「ヤア。」と屈木は敏捷さうな顔を彼の方に対けながら、飲みかけの茶碗を持ち上げた。
「忙中閑ありでね。」と屈木は得意さうに笑って、「君は相変らずだね。いや君と逢ったのはまだ一昨日ぢゃないか。」と云った拍子に少し嗄れた咳をして心持顔を顰めた。屈木はチョッキから懐中時計を取出すと、
「おっと、もう二時か、ぢゃまた遇はう。」と急に忙しさうに立去ってしまった。彼は屈木の姿を見送ると、何故か不思議な気もした。あの男も以前は彼以上に病態が昂進してゐて、今にも死にさうな姿を巷に晒してゐたが、屈木は血を喀きながらも酒を飲んだり女に戯れた。そして今ではともかく新聞記者をしてゐるのであった。気持一つ…

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