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豊島ヶ岡
としまがおか
作品ID48503
著者大町 桂月
文字遣い旧字旧仮名
底本 「桂月全集 第二卷 紀行一」 興文社内桂月全集刊行會
1922(大正11)年7月9日
入力者H.YAM
校正者小林繁雄、門田裕志
公開 / 更新2008-12-17 / 2014-09-21
長さの目安約 4 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

江戸川の終點にて下り、目白臺を左にし、小日向臺を右にして、音羽八町を行き盡くせば、護國寺の門につき當る。そこを豐島ヶ岡と稱す。一帶の丘陵、樹木欝蒼として秀色掬すべし。殊に音羽の道路の坂ともつかずに次第々々に高まること、他に其比を見ず。門前より牛込を見渡してもはれ/″\しく、音羽の入口より豐島ヶ岡の秀色を仰ぐの風致は、げに都の中にもと驚かるゝばかり也。
 豐島ヶ岡は、一に墳墓の岡とも云ふべくや。豐島御陵は、皇族御埋骨の地也。護國寺には、三條公、山田顯義を始め、墳墓多し。陸車埋葬地は、入營中に死せる兵士を葬る處、墓も規則正しく行列す。西に雜司ヶ谷埋葬地あり。第一青山、第二谷中、第三染井と、東京の墓地を數へ來らば、第四には、こゝの墓地が入れらるべし。豐島御陵の東に接して、儒者棄場もあり。この墳墓の岡に、眞言宗豐山派の豐山大學、豐山中學もあれば、女子大學の寄宿舍もあり。晩香寮とは、中學教育程度にて嫁する女に對しての名にや。大鬼小鬼夜哭するの地に、明日の榮華を夢みる青春の男女の集まれるかと思ふにつけても、つく/″\『孤村至レ曉猶燈火、知有二人家夜讀一レ書』のあはれなるを覺え、『骸骨の上を粧うて花見かな』の一層痛切なるを覺えずむばあらず。
 儒者棄場、今は學者塚と稱す。護國寺の門前を東に行き、坂に就かむとする處より北に行くこと一二町、路三つにわかる。中央の路最も大に、右の路やゝ小に、左の路最も小也。その最も小なる路を取り、つき當りて右折し、間もなく左折すれば、儒者棄場に達すべし。室鳩巣、岡田寒泉、柴野栗山、尾藤二州、古賀精里、同[#挿絵]庵など、江戸時代第一流の儒者の墓多く集まりたり。いづれも、みな幕府の儒官也。
 鳩巣の墓は、今は畑の中に、杉垣にて、かこひこまれたり。四つの小さき石塔相竝ぶ。最も左なるが鳩巣の墓にて、次が其妻の墓、次の二墓が、鳩巣の子の勿軒夫妻の墓也。鳩巣は新井白石と學友たり。而して白石は才を以て働き、鳩巣は徳を以て立てり。殊に鳩巣に偉とすべきは、赤穗義人録を著はしたること也。赤穗四十七士が君讐を報じて間もなき程にて群議紛々として是非一定せざりしに、一たびこの義人録出でて、天下の公論始めて定まれり。水戸義公の湊川の碑、鳩巣の義人録、これ當時好一對の美事也。
 鳩巣の墓の南に接して柴野氏の墓地あり。その中に栗山の墓あり。またその南は尾藤氏の墓地、二州の墓あり。またその南は古賀氏の墓地、精里の墓あり。其子[#挿絵]庵の墓もあり。[#挿絵]庵の子茶溪の墓もあり。茶溪までは、三代相つぎしが、茶溪は明治十七年に死して、まだに木標のみにて石塔が立ち居らず。鳩巣より始めて、墓地はだん/″\南に開けたり。而して墓もだん/″\大きくなれり。即ち精里父子の墓最も大にして、鳩巣の墓最も小也。岡田寒泉の墓は、栗山の墓の前方、雜木草莽の中に孤立す。よく/\注意せずば、見おとすべ…

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