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おさなごを発見せよ
おさなごをはっけんせよ
作品ID48667
著者羽仁 もと子
文字遣い新字新仮名
底本 「羽仁もと子選集 おさなごを発見せよ」 婦人之友社
1965(昭和40)年11月1日、1995(平成7)年10月1日新刷
初出「教育三十年」1938(昭和13)年
入力者蒋龍
校正者門田裕志
公開 / 更新2012-06-10 / 2014-09-16
長さの目安約 10 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 おさなごは、子宝のなかのさらに貴い宝です。この生きた宝物を新しい心でながめていると、あらゆる喜びとあらゆる望みが、つぎつぎとそのなかに発見されて、じっとしてはいられない気になります。
 まず第一に、いま生まれたみどりごが、お産婆の手よりも何よりも、自分で生きる力をあたえられているのだということを、たしかに自覚している母親は幾人あるでしょう。都会の新式の家にすむ知識階級の母親から、農村の茅屋にすんでいる母親まで、赤ん坊や幼児の強い自力に気がついていないことにおいては、全然同一ではないかと思われます。その結果知識階級の母親は、そのもっている知識のために、しぜん子供を神経的に取り扱うようになり、無知な母親はただその感情のおもむくままに、かわいがったり叱ったりするだけのことになります。
 おさなごを新たに発見するとはどういうことであるか。いいかえれば、おさなごはみずから生きる力をあたえられているもので、しかもその力は親々の助けやあらゆる周囲の力にまさる強力なものだということを、たしかに知ることです。のみならず、そうしてその強い力が、われわれに何を要求しているかを知ることです。人は赤ん坊のときから、その生きる力はそれ自身のなかにあります。母親が自分のもっている知識や感情を先にたてて、知らずしらず赤ん坊のみずから生きる力を無視していると、赤ん坊というものは容易にその方によりかかって、そうして自分のなかに強く存在しているところのみずから生きる力を弱めてゆくものです。
 赤ん坊のみずから生きる力が弱くなると、そこにどういうことが現われてくるか。自分の生命のほんとうの要求が自分にわからなくなってくるのです。そうしてただ眼前の苦痛や満足や喜びや悲しみのみにとらわれて、そればかりを訴えたり表現したりするようになります。したがって母親をはじめ周囲のものが、その赤ん坊の真の生命の要求ではないところの、その場その場の浅はかな訴えに動かされて、さまざまの処置をするようになる。その結果は赤ん坊の真の生命ははぐくまれずに、当座の感覚的要求ばかりが日に日に強くされてゆきます。こうして丈夫に生まれても弱くなる赤ん坊や、良知良能がさずかっているのに、まったくききわけのないわがままな子供や、頭脳の悪い子供ができてゆきます。
 赤ん坊自身に自分の生命のほんとうの要求がわからなくなる、赤ん坊自身のみずから生きる力が弱くなるとはどういうことか。実例をもっていえば、寝かすと泣く赤ん坊がたくさんあって、夜も昼も抱かれていることを望んでいる。そうしてそれは赤ん坊の生命の真の要求ではありません。すべてのことに感じやすい馴れやすい赤ん坊は、外からつけられた習慣に我知らずつり込まれてしまって、寝ていることは自分の心身のほんとうの要求である、そこで自由に手や足を動かしてだんだんに愉快な成長を遂げてゆく力を、その本能に…

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