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親子の愛の完成
おやこのあいのかんせい
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「羽仁もと子選集 おさなごを発見せよ」 婦人之友社
1965(昭和40)年11月1日、1995(平成7)年10月1日新刷
初出「思想しつつ生活しつつ 上巻」1918(大正7)年
入力者蒋龍
校正者門田裕志
公開 / 更新2012-06-10 / 2014-09-16
長さの目安約 12 ページ(500字/頁で計算)
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本文より



 人は結婚して夫婦になれば、だれでもどうしたら二人のあいだがつねに幸福に結びついてゆかれるだろうかと考えて、できるだけの努力をしようと思わない人はないでしょう。私たちが子供をあたえられると、どうかしてこの子を立派な人になるように教育したい教育したいと思います。けれどもだれも親子のあいだの愛情が進歩してゆくように、限りなくつづくようにと、祈ったり祝したりする人はないように思います。それは親と子というものは、いわゆる血をわけた仲なので、天然自然に本能的に愛し合っているものだから、愛情の方面は、おたがいに濃やかなれと祈るまでもなく、希望するまでもなく、安心なものだという気があるからでしょう。しかし親子の愛を、ただその本能の力にばかり任せて問題にしないのは、差しつかえないことでしょうか。
 親子の愛もまた親と子が双方から多くの努力をしなければ完成することのできないものです。近来いろいろと世上の有様を見るにつけて、親子の愛情の完成は、夫婦の愛の完成とおなじように、すべての人々によってふかく考えられ、強く主張されなければならないことだと、もっとも切に感じています。



 むかしは親の養育の恩義に対して、子供に至らざるところなき孝養の義務を負わせてあったので、子の幼いときは親は子のために働き、子供がおとなになると、今度は子が親のために働くので、親子の愛が一生涯あたたかにつづくことができたのでした。父母いまさば遠く遊ばずといってある通り、女はもとより男でも、一日の役目を終えて家に帰ると、まず父母の安きを問い、四方山の話相手にもなり、とくに親孝行といわれるほどの人は、二十四孝の芝居でみるように、肩をもみ腰をなで、洗足の湯をとり、寒中の筍でも親の好みとあればさがしにゆくというように、老いて心のおとろえた親の無理を、一つもそむかずにつかえました。それが父母恩愛の一端をせめてむくいる所以であると考えているのでした。それに配する妻はなお、夫の親として一入にかしずきつかえ、幼いときに手塩にかかった子供が、こんどは親を手塩にかけるので、人は生まれるから死ぬまで、親子という結びつきのために働くようなわけになっていました。そのためにとにもかくにも親子の結びつきは、おのずから堅かったように思われます。一つの家でも一つの社会でも、親子の結びつきの堅いところには、おのずから堅固な生活の基礎がすえられるように思われます。家長がまずその老親にかしずき、その妻がこれにならい、その子はまたその父母にしたがい、またしぜんに老人を尊敬して、一家は一団になるからです。
 今日の親子はどうでしょうか。親はむかしとおなじように骨折って子供をやしない育てておりますけれど、その骨を折る状態がだいぶ以前とちがっています。いまの母親は手織布子を自分の子に着せてはおりません。父親の搗いた米を食べて、子供が成長するの…

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