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たましいの教育
たましいのきょういく
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「羽仁もと子選集 おさなごを発見せよ」 婦人之友社
1965(昭和40)年11月1日、1995(平成7)年10月1日新刷
初出「教育三十年」1932(昭和7)年
入力者蒋龍
校正者門田裕志
公開 / 更新2012-06-15 / 2014-09-16
長さの目安約 6 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 思慮というものの全然芽を出していない幼児には、ただ外形ばかりが強い問題である。
 幼児ほど形の上から物を鵜呑みにするものはない。そうしてその鵜呑みにしたことを、よいこととして守ってゆくものはない。
 さらに幼児ほど好奇心の強いものはない。十分かれらの好奇心に投じてゆくならば、そのまちがっていることも、必ずなおしてしまうことができる。
 それゆえ幼児には、外形をもってまずよいことを鵜呑みにさせることが必要である。
 また私たちが知らないうちに彼が悪いことを鵜呑みにしていることを発見したならば、その好奇心を利用して、それと反対なことをまず鵜呑みにさせなくてはならない。
 しかし鵜呑みはどこまでも鵜呑みである。どんなによいことを鵜呑みにさせておいても、それが彼の一生を支配してゆく力はない。幼児時代から子供のもっているよい鵜呑みが、年とともにかれらの思いによって理解され、思想にまで信念にまで育ってゆくように助けなくてはならない。
 幼児の一面はまたただの本能そのものである。すなわちその本能的欲望をもとにして、彼らを育て導いてゆくよりほかはない。
 それをときどき私たちは、親の希いや都合を先にして、彼らを導こうとしていることに心づく。この場合において、閑却された幼児の欲望が本能が、ひとりでにほしいままなるものになってしまうわけである。
 活きる力の強弱は、またあらゆる生命の根本である。身体も精神も霊性も活発であるかどうかは、人を診察する医者が、まずわれわれの脈をとることをなによりも先にすると同じように、いつでも幼児を見守るものの第一条件として、たえず気がついていなくてはならないことである。やや極端にいえば身体と精神と霊性と、この三つを含む活力を強くしてやりさえすれば、そのほかのことは何もいらないと思ってもよいほどである。
 それだのにわれわれの実際はどうであろうか。教育のある母親ほど、子供の身体をかばいすぎてその活力を弱め、子供の心をかばいすぎて友だちを制限し、人間の霊性の偉大なものだということを忘れて、子供をただ幸福に導こう導こうとしている。考えてみるとみな信ずべきものを十分に信じないための現われだと思う。いいかえれば、人の親であり、教師であるわれわれの霊性の力が弱くなっているためだと思う。
 多くの人や子供をみているうちに、身体は十分に強くても精神の力の弱い人もあり、理性も研究心も強く鋭いのに霊性の力の非常に弱い人もある。溺れかけている人を助けることは、われわれの理性では決してできることでない。助けようとして彼と自分とともに死ぬかもしれないからである。すべてよいことを本気になってするのは、溺れかけている人をみて我をわすれて一緒にとびこむような心境だと私は思っている。頭脳のよさばかりでは決してできないことである。我をわすれて溺れかけている人を助けにゆくのは、義侠心…

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