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認識論
にんしきろん
作品ID4868
著者三木 清
文字遣い旧字旧仮名
底本 「三木清全集 第四巻」 岩波書店
1967(昭和42)年1月17日
初出「大思想エンサイクロペヂア 第二巻「哲学」」春秋社、1930(昭和5)年1月
入力者石井彰文
校正者Juki
公開 / 更新2007-04-06 / 2014-09-21
長さの目安約 94 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

    一 存在と眞理

 眞理の概念は知識の問題の中心概念である。それだから我々は先づこの概念の檢討から始めよう。
 いはゆる模寫説(Abbildtheorie)ほど今日不評判なものはないであらう。誰も自分の考へ方が模寫説であるといはれることを極端に恐れてゐる。模寫説といはれてゐるのは、我々の表象と實在との一致をもつて眞理と考へる思想である。心の外にある物が心の中に映じ、この映像が物に一致してゐるとき、それが眞理であるといふのである。かかる模寫説は到底維持され得ないと評せられる。第一、我々の感性知覺が外的實在の意識のうちにおけるそのままの繰返しであり得ないことは、心理學の知識を俟つまでもなく、日常の經驗において何人にも分つてゐることである。第二に、眞理といはれるものの中には外界の實在と一致しないものがある。數學的眞理の如きはそれである。例へば、圓は一定點から等距離にある點の軌跡であるといふが、このやうな圓は實際には何處にも見出されることができない。第三、我々が表象と實在との一致をどれほど眞面目に確かめようとしても、つねにただ表象と表象との一致が知られるのみであつて、表象と物そのものとの一致は決して知られない。我々は直接體驗の表象と記憶表象或ひは想像表象とを比較し、兩者を同一の對象に關係させることができる、しかし我々はこの對象そのものと表象とを比較することはできないのである。この種の批評が模寫説に對して普通に行はれてゐる。
 模寫説は超越的眞理(transzendente Wahrheit)の見方をとつてゐる。即ち意識の外にそれを超越する實在を認め、これとの關係において眞理の概念を規定するのである。しかるにこのやうな超越的眞理の見方は極めて執拗なものであつて、到る處にその影をとどめてゐる。それは、模寫説の難點を免れようとする内在的眞理(immanente Wahrheit)の見方、即ちひとへに表象相互の一致をもつて眞理を規定しようとする場合にも、そのうちに隱されて横たはつてゐる。この場合、二つの表象が相互に一致すべきであるといふ要求は、兩者が共に同一の對象に關係させられるといふことに基礎をもたねばならない。二つの表象が相互に等しいとせられるのは、それらが第三の、それ自身は表象ならぬものに等しい故でなければならない。我々が科學的理論において形作る諸表象は、我々が經驗によつて得る諸表象と一致すべきであるといはれるとき、そこにはその根柢として、兩者において同一の實在が精神に現はれてゐる筈であるといふ思想がはたらいてゐる。このやうに模寫説は甚だ根源的な、甚だ影響の多い認識理論である。
 近代の認識論は模寫説について、第一に、それは素朴な考へ方であるばかりでなく、第二に、カント以前の哲學はその認識理論においてすべて模寫説であつたと看做してゐる。このやうに見ると、模寫説…

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