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昔の女
むかしのおんな
著者
文字遣い旧字旧仮名
底本 「三島霜川選集(中巻)」 三島霜川選集刊行会
1979(昭和54)年11月20日
初出「中央公論」1908(明治41)年12月1日
入力者小林徹
校正者松永正敏
公開 / 更新2003-12-22 / 2014-09-18
長さの目安約 26 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 埃深い北向の家である。低い木ッ葉屋根の二軒長屋で、子供の多い老巡査が住み荒して行ッた後だ。四畳半と三畳と並んで、其に椽が付いて南に向ッてゐる。で日は家中に射込むて都て露出し……薄暗い臺所には、皿やら椀やら俎板やらしちりんやらがしだらなく取ツちらかツてゐるのも見えれば、屡く開ツ放してある押入には、蒲團綿やら襤褸屑やら何んといふこともなくつくね込むであるのも見える。障子は夏、外したまゝで、残らず破れたなり煤けたなりで便所の傍にたてかけてある。もう朝晩は秋の冷気が身に沁むほどだといふに、勝見一家の倦怠とやりツぱなしは、老巡査一家の其にも増して、障子を繕ツて入れるだけの面倒も見ない。雨でも降るとスッカリ雨戸を閉切ツて親子四人微暗い裡に何がなしモゾクサしていじけ込むてゐる。天気の好い日でも格子戸の方の雨戸だけは閉切ツて、臺所口から出入してゐる。幾ら水を換へて置いても、雨上りには屹度、手水鉢の底に蚯蚓が四五匹づゝウヨ/\してゐた。家が古いから屋根から流れ込むのであらう。主人の由三は、卅を越した年を尚だ独身で、萬事母親に面倒を掛けてゐた。
 由三は何処に勤めるでもない。何時も何か充らないやうな、物足りぬ顔で大きな古机の前に坐り込むでゐるが、飽きるとゴロリ横になツて、貧乏揺をしながら何時とはなく眠ツて了ふ。何うかすると裏の田園に散歩に出掛けることもある。机の上には、いかな日でも原稿用紙と筆とが丁と揃ツてゐないことはないが、それでゐて滅多と原稿の纒ツた例がない。頭がだらけきツて、正體がないからだ。
 今日も由三は十一時頃に起きて、其から二三時間もマジリ/\してゐて、もう敷島の十二三本も吸ツた。吸殼は火鉢の隅に目立つやうに堆になツて、口が苦くなる、頭もソロ/\倦くなツて來て、輕く振ツて見ると、后頭が鉛でも詰めてあるやうに重い。此うなると墨を磨るのさへ懶い、で、妄と生叺だ。臺所傍の二畳でも母親が長い叺をする……眼鏡越しに由三の方を見て、
「隣りのお婆さん、何うなすツたかナ。」と獨言のやうにいふ。返事がなかツたので、更に押返して
「亡くなツたかナ。」
 と頼りなげな聲だ。
「何うだツて可いぢやありませんか、他のこと。」
 由三はうるさゝうに謂ツて、外を見る。青い空、輝く日光……其の明い、静な日和を見ると、由三は何がなし其の身が幽囚でもされてゐるやうな感じがした。
「でも怖いからノ。」と母親は重い口で染々といふ。
「氣を付けてさへゐたら大丈夫です。」
「其は然うだがノ。」と不安らしい。
「大丈夫ですよ。赤痢といふものは、氣を付けてさへゐたら、決して罹りもしなければ、傳染するものではありません。」
「然うかノ。」
 と謂ツて母親は黙ツて了ツた。隣りの婆さんといふのは、赤痢に罹ツたのを一週間も隱匿してゐて、昨日の午後避病院に擔込まれたのであツた。避病院は、つい近所にある。坐ツてゐても消…

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