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赤い鳥居
あかいとりい
作品ID48809
著者田山 花袋 / 田山 録弥
文字遣い新字旧仮名
底本 「定本 花袋全集 第二十二巻」 臨川書店
1995(平成7)年2月10日
初出「令女界 第四巻第五号」1925(大正14)年5月1日
入力者tatsuki
校正者津村田悟
公開 / 更新2017-12-13 / 2017-11-24
長さの目安約 10 ページ(500字/頁で計算)

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本文より



 静夫はその高台のどんな細い道をもよく知つてゐた。そこを出れば坂がある。丘がある。林がある。その林は疎らで、下には萱や薄が生えてゐる。その薄の白い穂に夕日が銀のやうに光つて見えてゐる。さうかと思ふと、初夏の頃などには、浅い淡い緑がこんもりと丘を包んでそれが晴れた空に毬かなんぞのやうにくつきりと捺されてゐるのが手に取るやうに眺められた。かれは何遍そこから川の方へと下りて行つたか知れなかつた。
 しかし坂を下りても川はすぐには見えはしないのであつた。もし、そこに帆が浮んでゐなかつたならば――緩く垂れた、または大きく孕んだ帆が見えてゐなかつたならば、誰でもそこにさうした大きな川が溶々として流れてゐるとは夢にも思はなかつたであらう。否、丘の裾に添つたやうな道をぐるぐると廻るやうに、行つても行つてもその岸には出ずに、却つて反対に松の木の疎らに生えた丘の上へと出て行くのを見るであらう。そしてその上り切つたところで、始めて布を引いたやうな大きな川に接して、その眺めの美しいのに眼を[#挿絵]るであらう。しかし静夫に取つては、さうした誰でもが喜ぶやうな美しい眺めよりも、却つて林の中や森の下道や赤く一ところ抉られたやうになつてゐる絶壁の方が好ましいらしく、そこに来てもいつもちよつと立留つて一目眺めただけで、そのまゝ街道を向うの方へと歩いて行くのが例であつた。
 で、その街道――それも時に由つては、此方から向うに越して行く車やら荷馬車やら乗合自動車やらの轍のために泥濘が深くこね返されて、それを拾つて歩くのにも容易でないのであつたが、その深い幾条かの泥濘の轍の中にも、かれはその美しい幻影を雑ぜることが出来た。かれはそこにその眼を見た。その眉を見た。その豊かな白い頬を見た。



 その街道を八分通り上つたところから、赤土の崖になつてゐるところをひよいとのぼると、疎らなひよろ松の林があつて、下草と言つてもさう沢山は生えてゐないのであつたが、そこに晩春の頃には、よく山木瓜の花が二つ三つ雑つて咲いてゐるのをかれは眼にした。かれは赤い田舎々々した花を採つてよくそれをその唇に当てた。
(何故、田舎に生立つた娘だからいけないのだらう。何故あの都会の娘でなくてはならないのだらう。それは都会の娘は美しい。リフアインドされてゐる。しかしこの花のやうな無邪気さは、純粋さは全くなくなつてゐるのではないか。いくら美しくつても、そのまことの純なものを失つて了つてゐるではないか。)その花を唇に当てながら、そんなことをかれは思つた。何処に行つても、都会に行つても、学校に行つても、林の中に行つても、草藪の中に行つても、いつもかの女がゐるやうに、矢張そこにもそのなつかしいかの女がゐた。
 そこから少し行くと、疎らな松の幹の間に赤い小さな鳥居が見えて、その向うにさう大きくない稲荷の社が置かれてあつた。静夫には…

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