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氷と後光
こおりとごこう
作品ID4882
著者宮沢 賢治
文字遣い旧字旧仮名
底本 「宮澤賢治全集第六卷」 筑摩書房
1967(昭和42)年9月25日 
入力者土屋隆
校正者阿部哲也
公開 / 更新2012-09-21 / 2014-09-16
長さの目安約 8 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

「ええ。」
 雪と月あかりの中を、汽車はいっしんに走ってゐました。
 赤い天鵞絨の頭巾をかぶったちひさな子が、毛布につつまれて窓の下の飴色の壁に上手にたてかけられ、まるで寢床に居るやうに、足をこっちにのばしてすやすやと睡ってゐます。
 窓のガラスはすきとほり、外はがらんとして青く明るく見えました。
「まだ八時間あるよ。」
「ええ。」
 若いお父さんは、その青白い時計をチョッキのポケットにはさんで靴をかたっと鳴らしました。
 若いお母さんはまだこどもを見てゐました。こどもの頬は苹果のやうにかがやき、苹果のにほひは室いっぱいでした。その匂は、けれども、あちこちの網棚の上のほんたうの苹果から出てゐたのです。實に苹果の蒸氣が室いっぱいでした。
「ここどこでせう。」
「もう岩手縣だよ。」
「あの山の上に白く見えるの雲でせうか。」
「雲だらうな。しかし凍ってゐるだらうよ。」
「吹雪ぢゃないんでせうか。」
「さうだな、あすこだけ風が吹いてるかも知れないな。けれども風が山のパサパサした雪を飛ばせたのか、その風が水蒸氣をもってゐて、あんな山の稜の一層つめたい處で雪になったのかわからないね。」
「さうね。」
 月あかりの中にまっすぐに立った電信柱が、次々に何本も何本も走って行き、けむりの影は黒く雪の上を滑りました。
 車室の中はスティームで暖かく、わづかの乘客たちも大てい睡り、もう十二時を過ぎてゐました。
「今夜は外は寒いんでせうか。」
「そんなぢゃないだらう。けれども霽れてるからね。こんな雪の野原を歩いてゐて、今ごろこんな汽車の通るのに出あふと、ずゐぶん羨しいやうななつかしいやうな變な氣がするもんだよ。」
「あなたそんなことあって。」
「あるともさ。お前睡くないかい。」
「睡れませんわ。」
 若いお父さんとお母さんとは、一緒にこどもを見ました。こどもは熟したやうに睡ってゐます。その唇はきちっと結ばれて鮭の色の谷か何かのやうに見え、少し鳶色がかった髮の毛は、ぬれたやうになって額に垂れてゐました。
「おい、あの子の口や齒はおまへに似てるよ。」
「眼はあなたそっくりですわ。」
 山の雪が耿々と光り出しました。と思ふうちにいきなり汽車はまっ白な雪の丘の間に入りました。月あかりの中に、たしかにかしはの木らしいものが、澤山枯れた葉をつけて立ってゐました。
 そしてみんなはねむり、若いお父さんとお母さんもうとうとしました。山の中の小さな驛を素通りするたんびにがたっと横にゆれながら、汽車はいっしんにその七時雨の傾斜をのぼって行きました。そのまどろみの中から、二人はかはるがはる、やっぱり夢の中のやうに眼をあいて子供を見てゐました。苹果の蒸氣がいっぱいだったのです。電燈は青い環をつけたり碧孔雀になって翅をひろげ子供の天蓋をつくったりしました。
 ごとごとごとごと、汽車はいっしんに走りました。
「…

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