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一室
いっしつ
作品ID48824
著者田山 花袋 / 田山 録弥
文字遣い新字旧仮名
底本 「定本 花袋全集 第二十一巻」 臨川書店
1995(平成7)年1月10日
入力者tatsuki
校正者林幸雄
公開 / 更新2009-04-26 / 2014-09-21
長さの目安約 6 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

「行きますか?」
 片語の日本語でかう李が言ふと、
 Hは、
「何うします?」と言つて私の方を見た。
「ちよつと見るだけ見たいんだが、さういふわけには行きませんか」
「それは行きますとも……」
「買つて見るなどといふ興味は無論ないんですから――」
「好う御座んす……」
 Hはブロオクンな支那語で何か頻りに李に話した。李も手真似をして頻りに何か言つてゐたが、やがてそれが飲み込めたといふやうにして点頭いて見せた。
 自動車は私達をのせて動き出した。それは露天市場を見物に行つた帰途であつた。狭い小崗子の通りの方へと私達は向つて行つた。
「支那の妓は何うも日本人には向きませんな……」
 これはTだ。
「そんなことはありますまい。廉くつて、親切で、一度はまり込むと、生涯忘れられないといふぢやありませんか?」
「さういふ人もあるかも知れませんけれども、何うも汚なくつていやだね。不愉快だね。H君は何うだえ?」
「僕もイヤだね?」
「しかし、それは始めの中だけでせう。深くなれば、同じことでせう。色恋は汚ないものぢやないですか? また汚ない方が好いつていふぢやないですか?」
「変態性慾の方ならさうかも知れないでせうけれど――」
 私達はそのまゝ黙つた。
 自動車はいつか細い狭い通りを此方から向うへ抜けやう抜けやうとして努力してゐた。庇の低い混雑した店屋が暫し続いたかと思ふと、今度は高い塀のやうなものがあらはれて、それがずつと狭斜らしい感じのする巷路へと入つて行つた。
 ある一構への家屋の前で自動車はぴたりと留つた。李を先きに皆なは下りた。
 私の眼には、中庭を二階で囲つたやうな家が映つた。入口までずつと石を敷きつめたやうな家が映つた。狭斜は狭斜でも、下等なところらしく、入口が二たところもあつて、その上のところに妓の名の書いた札のかかげられてあるのを私達は見た。一つは張鳳と書いてあつた。もう一つの方は張飛郷と書いてあつた。見事な小楷だつた。
「女郎屋かね? こゝは?」
 私は訊いた。
「いや、芸者屋です――」
「ちよつと女郎屋のやうな感じがするぢやないか」
 こんなことを言ひながら、私達は李のあとについて、その手前の張飛郷と書いてある方の家へと入つて行つた。
 やり手らしい五十先の肥つた丈の低い女が出て来て、何か頻りに李と話してゐたが、余り好い客でないといふことがわかると、いくらか落胆したといふやうな様子で、迎へ入れるには入れても、余りちやほやしなかつた。室は八畳ぐらゐの広さで、[#挿絵]の上に茶湯台がひとつ置かれてあつた。奥には三畳ぐらゐの寝室があつて、枕の並べ置いてあるのが白い幔幕の間からそれと覗かれた。
「何うも、これが――この寝室が感じが好くないね。何処に行つても皆これだからな」
「本当だね。矢張、先生方は寝る専門なんだなあ!」
 TとHとはこんなことを言つてその室を覗…

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