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『全輯百間随筆』内容見本「推薦文」
『ぜんしゅうひゃっけんずいひつ』ないようみほん「すいせんぶん」
著者
文字遣い新字旧仮名
底本 「囘想 内田百間」 津輕書房
1975(昭和50)年8月31日
入力者岩澤秀紀
校正者岡村和彦
公開 / 更新2016-12-15 / 2016-09-09
長さの目安約 2 ページ(500字/頁で計算)

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本文より


 人の感興を惹くものは流行する、流行すれば摸倣も出現する、摸倣には巧みなものも拙いものもある、拙いものには非難が伴ふのも当然である。それでなくとも、流行には直ちに反対したくなる気持ちの人もある。それで随筆が人気に投じて流行を極めると、一方には又之を呪ふ声も聞える。人々が随筆を書いたり又読んだりするのは、畢竟思索の低落した為めだといふ。或はさういふこともあるかも知れない、然しまたさうでもないかも知れない。随筆にも種々ある。科学者の随筆は何所かに術語が混つてどつしりした重味がつくし、文献家の漫筆は御手の物の博引旁証で読者に予期しない稗益を与へる。所が哲学者のものとなると、ぢきに理窟や御談義が顔を出すので屡自他を悩ますらしい。そして是こそ思索を中途半端にしたものかも知れない。若し夫れ文学者の随筆に至つては、流石に往々最短篇の小説に類するものがあつて興味津々たる所がある。折々随筆の真似事をやる小理窟屋が随筆の本家本元に向つて甚く口幅つたいことを言ふやうであるが、内田百間氏の随筆こそは正に此の短篇創作の類ひではあるまいか。巻を掩ふを忘れしめる、といふ評語は恰かも之が為めに設けられたもののやうである。今此の最短篇小説から、普通の短篇小説、更に其他の作品までを集録して、其の天外より落ちた奇想を世の憂き人に伝へられることは、まことに羽衣の天人の東遊びの舞の曲にも増して人々に喜びを与へることゝ謂つてよいであらう。



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