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馬車
ばしゃ
作品ID4887
著者横光 利一
文字遣い新字新仮名
底本 「愛の挨拶・馬車・純粋小説論」 講談社文芸文庫、講談社
1993(平成5)年5月10日
初出「改造 第十四巻第一号」1931(昭和7)年1月1日
入力者土屋隆
校正者mitocho
公開 / 更新2018-03-17 / 2018-02-25
長さの目安約 62 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 由良は多木の紹介で脳に特効あるという彼の郷里の温泉へ行くことにした。医者は由良の脳病の原因を疲労の結果だというのだが、とにかく満ち溢れていた水を使い尽してしまった後に起るあの空虚な皮質ばかりを、露骨に頭脳は絶えずがんがんと感じるのだ。文字を見ていても、行と行とが浮き上って紙の上で衝突を始めたり、物事を考えていても、それが心の中で言葉となって進行を始めかけると、もう言葉そのものが前後を乱してばらばらに砕けてしまい、あちらに動詞が散ったり、名詞ばかりがぴたりと一定の所に停止してしまったりして、頭の中では、秩序がも早や頭脳の存在そのものとだけなって、不安が一層激しく増して来るばかりとなって来た。或る日由良は医者に見て貰うために知人の医者の前に立った。すると医者は、「譬えば君は街を歩くだろう、その場合どちらへ行こうかと考えても、君の頭はもういけない。とにかく、一切合切思考するということがいけないのだから、その覚悟で一年を暮すよう。」と由良に云った。考えてはいけない、――つまり大人でありながら、感性ばかりの三つ児のようになって生活を一年の間せよというこの難題に逢うと、由良はこれは狂人になっておれと云われたのと同様だと思った。しかし、由良は多額の金銭を所持して一年の間ぶらぶらしていることはとうてい出来る身分ではない。そればかりではなく、彼によりすがって生活しなければならない小さな弟や母まで後ろにひかえているのだから、医者の言葉は由良にとってはひどく無慈悲なものに感じられた。由良はその日から暫くの間は、眼を使わなければならぬ仕事や遊びやその他の行動はなるだけしないように気をつけて、専ら眼を瞑ったまま音の世界を身近にひきよせるような工夫をしようとした。音ならこれには今までからあまり由良の頭は刺戟せられて来ていないので、眼の世界に刺戟せられるよりも、はるかに頭脳を休めるにちがいないと思われたからである。或る日、彼は多木が彼のところへ遊びに来たのでそのことを話すと、それでは自分の家の近所に人に知られていない温泉があるから、癒るまでそこに居るよう、費用は家へは払わずに直接自分の所へ送れと自由なことを云ってくれたので、早速由良は多木の紹介で彼の家へ出かけることにした。
 そうでもしなければ、自分の頭の悪い部分で自分の頭の悪い部分が良いか悪いかと考え続けるそのことすでに、頭を一層悪くしていくばかりなのだから、彼の狭い部屋にじっとしている限りは、いつまでたっても頭は癒らないにちがいなかった。――

 多木の家の山中の温泉は殆ど歯朶類の中に埋れているといっても良いほど、山は一面に鋸の歯のように鋭い青葉でもって満ちていて、足で踏む苔の下からは、ときどきじっとりと水が指の間へにじむような、自然な風景にとり包まれた穏やかなところであった。湯水は絶えず底の岩の裂け目から出て来て、そのまま、そこ…

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