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アカシヤの花
アカシヤのはな
著者
文字遣い新字旧仮名
底本 「定本 花袋全集 第二十一巻」 臨川書店
1995(平成7)年1月10日
初出「東京 第一巻第一号」実業之日本社、1924(大正13)年9月1日
入力者tatsuki
校正者林幸雄
公開 / 更新2009-04-26 / 2014-09-21
長さの目安約 10 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

         一

 たしか長春ホテルであつたと思ふ。私はその女の話をBから聞いた。しかし、それはその女を主としての話ではなしに、その長春の事務所長をしてゐるS氏の話が出た時に、Bは画家らしいのんきな調子で、莞爾と笑ひながら言つたのであつた。「君、Sさんは、あゝいふ風に堅い顔をしてゐるけれどもね。あれで中々隅に置けないんですよ」
「さうかね?」かう言つた私には、五十近い、それでゐて非常に若くつくつてゐる、頭髪を綺麗にわけたS氏の顔が浮んだ。
「つい、此間まで、大連の本社で庶務課長をしてゐたんだがね?」
「庶務課長! Sさんが――? それぢや、今、Y氏がやつてゐる役だね?」
「さうだ。あ、君もあそこに行つて見ましたね。S氏はあそこについ半年ほど前までゐたんですよ。そのあとに、今のY氏が行つたんですよ」
「庶務課長から此処の事務所長では、左遷ですね?」
「まア、さういふわけですね。S氏も好い人ですけれどもね。それは親切で、趣味が深くつて、絵のこともわかるし、僕などには非常にいゝ人なんですけれどね――」Bは少し途切れて、「それ、君、庶務課に行くと、あの室の隅にタイピストがあるでせう?」
「え……」
「あの今ゐる女ぢやないですけれどもね。Sさんは、そのタイピストを可愛がつてね。たうとう孕ませて了つたもんですからね?」
「ふむ?」と私はいくらか眼を[#挿絵]るやうにして、「あゝいふところにもさういふことがあるのかね? ふむ? 面白いね? つまり、さうすると、今ゐる女の前にゐた女をやつたわけですね?」
「さうですよ」
「さうかな……。さういふことが沢山あるんですかね?」
 かう言つた私の眼には、その大きな石造の建物の中の一室――卓を二脚も三脚も並べた、電話の絶えず聞えて来る、クツシヨンの椅子の置いてある、その向うに後姿を見せてタイピストがカチカチやつてゐる一室のさまがはつきりと浮んだ。
「それで何うしたね? 今では囲つてでもあるのかね」
「いや、本社から此方に来る時、すつかり解決をつけて来たらしいね。何でも、もう女も子供を産んだとか言つた――」
「よく早く解決が出来たね?」
「だつて、困るからなア――」Bは笑つて、
「そこに行くと、あゝいふ人達は、金があるから、何うにでもなる……」
「さうかな――」
 私はじつと考へに沈んだ。思ひがけない人生の一事実といふことではなかつたけれども、一種不思議な心持を私は感じた。「ふむ!」と言つて私はまた頭を振つた。
「それでその女は別品かね?」
「ちよつと色が白いだけですよ」かう言つてBは笑つた。

         二

 それだけでそのことはすつかり忘れてゐた。
 私とBとはハルピンに行き、蒙古に行き、吉林に行き、それから引返してもう一度大連へと戻つて来たが、そこに三四日ゐて、今度は本社の人達にも別れを告げて、朝鮮から帰国の途に…

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