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桜の花
さくらのはな
著者
文字遣い新字旧仮名
底本 「日本の名随筆65 桜」 作品社
1988(昭和63)年3月25日
入力者門田裕志
校正者大野晋
公開 / 更新2004-12-08 / 2014-09-18
長さの目安約 3 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 桜こそは、春の花のうちで表現の最もすぐれたものの一つであります。しとしとと降り暮らす春の雨の冷たさに、やや紅みを帯びて悲しさうにうなだれた莟といふ莟が、一夜のうちに咲き揃つて、雨あがりの金粉をふり撒いたやうな朝の日光のなかで、明るくほがらかに笑つてゐる花の姿は、多くの植物に見るやうな、莟から花への発展といふよりも、むしろすばらしい跳躍であります。感激といふよりも、驚異であります。第二楽章なしに直に第三楽章への躍進であり、表現と高興との中心への侵入であります。蘇へる生命の歓びに、やつと新芽を吹いたばかりの草も、木も、饒舌家の小鳥も、沈黙家の獣も、さすらひ人の蝸牛も、地下労働者のもぐらもちも、みんな魔術にでもかかつたやうに、いい気持になつて夢を見てゐるなかに、この桜の花のみは、ながい三春の歓楽を僅二日三日の盃に盛つて、そこに白熱した生命の燃焼と豪奢の高興とを味ひつくさうとするのであります。恋をするものは、道を歩くにも決して後をふり向かないといひます。むかしの詩人は、

さまざまの事思ひ出す桜かな

 といひましたが、それはその詩人自らの追想であつて、桜には何の追想もありません。追想するほど自分とかけ離れた自分を持たないからであります。張りきつた恋愛の激情には、子女の繁殖など思ふ余裕はありません。それ故に桜の花は、梅や杏のやうに実らしい実を結ばうとはしません。花自らが生命の昂揚であり、燃焼でありますから、それが他の花から見て、若き日の徒費であらうと、少しも構はないのであります。
 むかし徳川の末、たしか弘化の頃であつたと思ひます。名古屋に山本梅逸の弟子で、小島老鉄といつた画家がありました。古寺の閻魔堂のかたはらに、掘立小屋のやうな小やかな庵を結んで、乞食にも劣つた貧しい生活のなかにも、蘭の花のやうな清く高い心持を楽んでゐました。ある冬の事、あまりの寒さつづきに、小屋掛の身はどんなに凌ぎ難からうと、親切にもわざわざ炭三俵を送つてよこした友達がありました。老鉄はそれを見ると大層喜びました。
「折角の志ぢや。火をおこしてすぐに煖まるとせう。」
 といつて、いきなりそれに火をつけて、三俵とも一度に火にしてしまひました。そして尻を煖めながら、
「ああ煖かい、いい気持ぢや。久し振で今日は大尽になつたやうな気がするて。」
 といつて、いい気になつてゐたといふ事であります。
 炭を送つてよこした友達の心では、冬中の寒さはこれだけあつたら凌ぎおほせるだらうと位に考へてゐたらしいのです。また普通の人ならばきつとさうしただらうと思はれます。だが、老鉄はそんな真似をしないで、三俵一度に火にしてしまひました。つまりこれまでの貧乏暮しのやうに、ちびりちびり火をおこしたところで、三俵の炭はやつと六十日を持ちこたへるに過ぎますまい。それでは唯平凡な日の連続に過ぎません。それよりかも、折角到来の…

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