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レイモンドの『農民』
レイモンドの『のうみん』
著者
文字遣い新字旧仮名
底本 「定本 花袋全集 第二十三巻」 臨川書店
1995(平成7)年3月10日
入力者tatsuki
校正者岡村和彦
公開 / 更新2018-05-07 / 2018-04-26
長さの目安約 3 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 第一に私の気に入つたのは、この作が何等の傾向も、思想も、宣伝も持つてゐないことだつた。農民小説といふ臭気すらなかつたと言つて好かつた。作者はたま/\さういふ農村の生活に浸つてゐたために、それを題材にして大きな人生を展開しただけだ。大きな人生の波の中に浮いたり沈んだりする人間を書いただけだ。そこが私の気に入つた。作者はかうでなくてはならないのだ。従つてこの作は非常に落ち付いてゐる。寧ろドツカリと腰を落ち付けて書いてゐる。そのあらはさうとするものだけに心を集中してゐる。わき目を触らない、この点だけでも、日本の作者達の大きな参考になる。
 それはいろ/\な形ちにおいて欠点はあるにはある。章から章を追つて層叙法を用ひたのなどはあまり新しいとはいへない。ああいふ形はツルゲネフあたりにすらもない。それに、人物のきざみ方も具象された度数においては決してすぐれてゐるとはいへない。傀儡にはなつてゐないにしても、作者の頭にあまりに整然と考へられすぎた形がある。それは人物の配置の上などに注意すればすぐわかる。それにもかゝはらず、場所によつては測々として人を動かす。力も籠もつてゐる。農村のカラアも生々として出てゐる。ことに、この『秋』には、長篇の発端であるに相応しい最初の意気込みがよくあらはれてゐる。
 ヤグナとアンテクとは、悲劇の原動力となるに相応しい性格を展開しかけてゐる。しかしこれもいろ/\なことを私に思はせた。私の考へではこの作の底をつらぬいてゐる線は、さう大して細いとはいへない。心理派の作者の書いたやうに、人間の魂を振るはせるといふやうな微妙なところはない、わるくすると、縄のやうになつてしまひはせぬかと危ぶまれる。
 それにこの作者には、トルストイの持つたやうな他界的なところが乏しい。またツルゲネフの持つたやうな『詩』にも欠けてゐる。農村の外形ははつきりと出て来てゐるけれども、農民といふものゝ内部生活の描写はさう大して深いとはいへない。トルストイの『コザツクス』の中に出るカウカサスの生活などの方がもつと深い。
 しかし私は『秋』だけしか読んでゐないから、本当のことはいへない。『冬』になつて何んなにすぐれた深い描写があらはれて来るかも知れない。それにつけても農民小説、殊にこのごろの多く人の口に上るやうになつた農民小説の提唱のことが考へられてくる。つまりこの手法、この見方、この構図で吾々も日本の農村を小説に展開させることが出来ないかといふことである。長塚節氏の『土』はどつちかといへばゾラに近いが、あれでも面白いと思ふが、更にこの作のやうに、静かに落ちついて本当の農村を出してくることも必要だと思ふ。農村の人達の上に展開される人生――それは決して悲惨ばかりでない。また決してつらい労働ばかりではないと思つてゐるが、この『農民』などはその点に於いて非常に参考になるだらうと私は思ふ。…

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