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身毒丸
しんとくまる
作品ID4910
著者折口 信夫
文字遣い新字旧仮名
底本 「死者の書・身毒丸」 中公文庫、中央公論新社
1999(平成11)年6月18日
初出「みづほ 第八号」1917(大正6)年6月
入力者高柳典子
校正者多羅尾伴内
公開 / 更新2004-01-05 / 2014-09-18
長さの目安約 21 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

身毒丸の父親は、住吉から出た田楽師であつた。けれども、今は居ない。身毒はをり/\その父親に訣れた時の容子を思ひ浮べて見る。身毒はその時九つであつた。
住吉の御田植神事の外は旅まはりで一年中の生計を立てゝ行く田楽法師の子どもは、よた/\と一人あるきの出来出す頃から、もう二里三里の遠出をさせられて、九つの年には、父親らの一行と大和を越えて、伊賀伊勢かけて、田植能の興行に伴はれた。信吉法師というた彼の父は、配下に十五六人の田楽法師を使うてゐた。朝間、馬などに乗らない時は、疲れると屡若い能芸人の背に寝入つた。さうして交る番に皆の背から背へ移つて行つた。時をり、うす目をあけて処々の山や川の景色を眺めてゐた。ある処では青草山を点綴して、躑躅の花が燃えてゐた。ある処は、広い河原に幾筋となく水が分れて、名も知らぬ鳥が無数に飛んでゐたりした。さういふ景色と一つに、模糊とした羅衣をかづいた記憶のうちに、父の姿の見えなくなつた、夜の有様も交つてゐた。
その晩は、更けて月が上つた。身毒は夜中にふと目を醒ました。見ると、信吉法師が彼の肩を持つて、揺ぶつてゐたのである。
――おまへにはまだ分るまいがね」といふ言葉を前提に、彼れこれ小半時も、頑是のない耳を相手に、滞り勝ちな涙声で話してゐたが、大抵は覚えてゐない。此頃になつて、それは、遠い昔の夢の断れ片の様にも思はれ出した。唯この前提が、その時、少しばかり目醒めかけてゐた反抗心を唆つたので、はつきりと頭に印せられたのである。その時五十を少し出てゐた父親の顔には、二月ほど前から気味わるいむくみが来てゐた。父親が姿を匿す前の晩に着いた、奈良はづれの宿院の風呂の上り場で見た、父の背を今でも覚えてゐる。蝦蟇の肌のやうな、斑点が、膨れた皮膚に隙間なく現れてゐた。
――とうちやんこれは何うしたの」と咎めた彼の顔を見て、返事もしないで面を曇らしたまゝ、急に着物をひつ被つた。記憶を手繰つて行くと、悲しいその夜に、父の語つた言葉がまた胸に浮ぶ。
父及び身毒の身には、先祖から持ち伝へた病気がある。その為に父は得度して、浄い生活をしようとしたのが、ある女の為に堕ちて、田舎聖の田楽法師の仲間に投じた。父の居つた寺は、どうやら書写山であつたやうな気がする。それだから、身毒も法師になつて、浄い生活を送れというたやうに、稍世間の見え出した此頃の頭には、綜合して考へ出した。唯、からだを浄く保つことが、父の罪滅しだといふ意味であつたか、血縁の間にしふねく根を張つたこの病ひを、一代きりにたやす所以だというたのか、どちらへでも朧気な記憶は心のまゝに傾いた。
身毒は、住吉の神宮寺に附属してゐる田楽法師の瓜生野といふ座に養はれた子方で、遠里小野の部領の家に寝起きした。
この仲間では、十一二になると、用捨なくごし/\髪を剃つて、白い衣に腰衣を着けさせられた。ところが身毒ひとりは、此…

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