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三本の棗
さんぼんのなつめ
作品ID49141
著者片山 広子
文字遣い新字旧仮名
底本 「燈火節」 月曜社
2004(平成16)年11月30日
入力者竹内美佐子
校正者富田倫生
公開 / 更新2008-12-20 / 2014-09-21
長さの目安約 4 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 いま浜田山の庭にある棗の木は私にとつては三本目の棗である。小さい時泊りに行つた埼玉県の祖父の家に大きな棗があつた。祖父の家の表門をはいるとすぐ左手に米倉が立つてゐたが、それは古びても美しい白壁の倉で、その戸口のすぐ側に大きな棗の木が立つてゐた。祖父の家はひろくて、奥の倉につづく座敷の前には石の多い奥庭があり、家の南に建て増された新座敷とよばれる三間ばかりの客座敷の前には古風にきどつた庭があつて、椽側ちかく木賊がすつすつと立つてゐて、外をかこむ竹籔の柔い青さがこの庭と一つの世界に見えてゐた。しかし米倉のそばには庭らしいかざりの石も樹もなく、そこいらじうにおしろいの花や萩が咲いて、鶏どもがちよこちよこ歩きまはつてゐたりして、子供の私ものんびりと鶏を見ながら遊ぶことができて、さうしてゐるあひだに棗の実を採つて食べることを覚えたのである。だれか大人が一しよに立つてゐて食べさせてくれたのが初めだけれど、棗はおいしいなと思つて、私は泊つてゐるあひだ時々倉の前に出かけて行つて食べた。下枝のをとつてみたり、地に落ちてるのを拾つたりした。
 私の十代の月日は無事にあつけなく過ぎて、二十代で結婚し、三十代になつたとき、貸家でない自分の家に住めるやうになつた。わかい田舎大工が作つて、ただ家の形だけをそなへた粗末なものであつても、夫も私もその家にはいろいろな注文があつた。夫は屋根のある門が欲しいといひ、私は棗の木を一本ほしいと言つた。川崎の田舎の方から植木屋が探して来てくれて、それを家の東南の方に植ゑつけた。かなり年をくつた木で毎年たくさんの実がついたが、次第に私たちの生活にもゆつくりした時間は持てなくなり、秋になつて棗の実が赤るんでもその実を採る人もなかつた。実はいくつもいくつも土に落ちて、何時の間にか小さい小さい芽生がひよろひよろ生へ出してそこら一ぱい棗の林のやうになつた、と言つてもそれは小びとたちの遊ぶ林みたいで、五六寸か一尺位の木ばかりであつた。その小さい棗の木が育つて三尺にも四尺にもなつた時分、日本は大戦争の混乱に堕ちて、私はもうそのまま家も庭も何も捨てて田舎じみた今の土地に越して来たのである。
 終戦の秋軽井沢から浜田山に帰つて、荒れはてた庭を少しづつ草をとつて片づけてゐると、隣家との堺に小さい棗の芽生の二尺ぐらゐの高さのものを見出した。あらつ! 棗がある! 私は思はず声を上げて、同居のわかい人を呼んだ。この木は大森から持つて来たのでせうか、あなた覚えてゐる? と訊いてみた。彼女はお引越しの時あまり沢山いろんな物をトラックに載せて来たので、棗を持つて来たかどうかはつきり覚えてゐないと言つた。引越しより前に一度、四月の末ごろグラジオラスの球根といちごの株を持つて彼女と二人でこの庭に植ゑに来たことがあつた。そのとき棗の芽生の中位な大きさのを持つて来たのではなかつたかしらと…

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