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チェーホフの短篇に就いて
チェーホフのたんぺんについて
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「カシタンカ・ねむい 他七篇」 岩波文庫、岩波書店
2008(平成20)年5月16日
初出「新潮」1936(昭和11)年9月
入力者佐野良二
校正者noriko saito
公開 / 更新2010-02-11 / 2014-09-21
長さの目安約 15 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 先日、カサリン・マンスフィールドの短篇集を読む機会があって大変たのしかった。崎山正毅氏の訳も立派だと思った。中でも『園遊会』などは三度くりかえして読んだが、やはり面白さに変りはなかった。これに反し、『幸福』など、繰りかえして読むのはどうかと思われるような作品もある。何かしら匂いが強すぎるのである。それは寧ろ緩やかな忘却作用のなかで愉しんでいたいような作品だった。
 がとにかく、この人がチェーホフの唯一の後裔のように言われるのは予て耳にしていたものの、こうまでチェーホフ的なものを吾が物にしていようとは夢にも思わなかった。チェーホフ的? 人は恐らくそう言う場合には、あの『可愛い女』や『唄うたい』や『睡い』や、まずそうした作品を子守歌のように思い浮べるのであろう。そしてそれもよいのだ。しかしまた、そうした気分的なものの実体の捉えがたさもまた格別である。
 ここに唯一つたしかなことは、よく人の言う「チェーホフ的」な感じというものが、既に時の波に洗われきった聖チェーホフの雰囲気であることだ。それはエーテルのように私達の身のほとりに漂う。それは捕えがたい。……このニュアンスを、まんまと捕えて自家薬籠中のものとしたマンスフィールドの心には、非常に聡明な女性が住んでいたのに違いない。チェーホフの亜流が誘われがちの湿っぽい感傷から、彼女が全く免かれているのは、強ち緯度の違いや、ましてや時代の違いからばかりではあるまい。何故ならそこに見られるものは単なる醇化作用ではなく、いわば強い昇華作用が働いているからだ。これが影響の最も望ましい形であることは言うまでもない。マンスフィールドには何か私録のようなもの(たしか日記だったと思うが)があって、それが発表されているように聞いているが、これはそのうち是非読んでみたいと思う。

 だが差当りチェーホフのことに帰ろう。彼の思想的動向の要約という問題から一応離れて、問題を彼の短篇様式の発展ということに限るにしても、一体この隔離そのものが困難なのと同じ程度に、その発展の道にはっきりした道標を置くことは難かしい。仮りにあり来たりの仕方で、彼の作品を初期と後期に分け、そのあいだに隔ての網を張る。しかし魚はこの網をくぐって自由に交通するのだ。
 ひと先ずこれを承知の上で、彼の初期の作品、略[#挿絵]一八八六、七年ごろまでの作品を眺めることは勿論可能であるが、そこには大して取り立てて言うほどのこともない。よく知られている如く彼は純然たる衣食のために、完全に商業主義的に文を売ることから出発した。あらゆる他の大作家のデビューに見られるものが彼にはなく、逆に彼等に見られないものが彼にはあったということは悲惨な話である。哀しい近代性だ。彼は自己表白の欲望、つまりは青春をすっかり窒息させて置かなければならなかった。その一方商業的要求は、彼に専らユーモアの錬磨や…

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