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不在地主
ふざいじぬし
作品ID49181
著者小林 多喜二
文字遣い新字新仮名
底本 「日本プロレタリア文学集・26 小林多喜二集(一)」 新日本出版社
1987(昭和62)年12月25日
初出一~十一、十六「中央公論」1929(昭和4)年11月号、十二~十五(「戦い」の表題で。)「戦記」1929(昭和4)年12月号
入力者林幸雄
校正者富田倫生
公開 / 更新2009-05-01 / 2014-09-21
長さの目安約 145 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

この一篇を、「新農民読本」として全国津々浦々の「小作人」と「貧農」に捧げる。「荒木又右衛門」や「鳴門秘帖」でも読むような積りで、仕事の合間合間に寝ころびながら読んでほしい。

    一


     「ドンドン、ドン」

 泥壁には地図のように割目が入っていて、倚りかかると、ボロボロこぼれ落ちた。――由三は半分泣きながら、ランプのホヤを磨きにかかった。ホヤの端を掌で抑えて、ハアーと息を吹き込んでやると、煙のように曇った。それから新聞紙を円めて、中を磨いた。何度もそれを繰返すと、石油臭い匂いが何時迄も手に残った。
 のめりかけている藁屋根の隙間からも、がたぴしゃに取付けてある窓からも、煙が燻り出ていた。出た煙はじゅくじゅくした雨もよいに、真直ぐ空にものぼれず、ゆっくり横ひろがりになびいて、野面をすれずれに広がって行った。
 由三は毎日のホヤ磨きが嫌で、嫌でたまらなかった。「えッ、糞婆、こッたらもの破ってしまえ!」――思い出したように、しゃっくり上げる。背で、泥壁がボロボロこぼれ落ちた。何処かで牛のなく幅の広い声がした。と、すぐ近くで、今度はそれに答えるように別の牛が啼いた。――霧のように細かい、冷たい雨が降っていた。
「由ッ! そったらどこで、何時迄何してるだ!」――家の中で、母親が怒鳴っている。
「今、えぐよオ。」
 母親はベトベトした土間の竈に蹲んで、顔をくッつけて、火を吹いていた。眼に煙が入る度に前掛でこすった。毎日の雨で、木がしめッぽくなっていた。――時々竈の火で、顔の半分だけがメラメラと光って、消えた。
「早ぐ、ランプばつけれ。」
 家の中は、それが竈の中ででもあるように、モヤモヤけぶっていた。眼のあき所がない。由三は手さぐりで、戸棚の上からランプの台を下した。
「母、油無えど。」
「?」――母親はひょいと立ち上った。「無え?……んだら、※[#「┐<△」、屋号を示す記号、249-上-7]さ行って来い。」
「ぜんこ?」
「ぜんこなんて無え。借れて来い!」
 由三はランプの台を持ったまま、母親の後でウロウロしていた。
「行げッたら行げ! この糞たれ。」
「ぜんこよオ!」――背を戸棚にこすりつけた。「もう貸さね――エわ。」
「貸したって、貸さねたって、ぜんこ無えんだ。」
「駄目、だめーえ、駄目!……」
「行げったら行げッ!」
 由三は殴られると思って、後ずさりすると、何時もの癖になっている頭に手をやった。周章てて裏口へ下駄を片方はき外したまま飛び出した。――「えッ、糞婆!」
 戸口に立ったまま、由三はしばらく内の気配をうかがっていたが、こっそり土間に這い込んで、片方の下駄を取出した。しめっぽい土の匂いが鼻へジカにプーンと来た。
 雨に濡れている両側の草が気持悪く脛に当る細道を抜けて、通りに出た。道の傍らには、節を荒けずりした新らしい木の香のする電柱が、間…

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